
牧師室の二窓 Pastor's note
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数週間前にはじめて久井の黙想庵に行って、間も無く、このたびふたたび、日曜日の夕方から火曜日の朝まで、黙想庵に行ってきた。ミリアムさんからその庵に置いてある『修道者の理想なるキリスト』の本を勧められて、ぜひその本を読みたくなったからである。その本はすでに絶版で、マルミオンという19世紀から20世紀にかけてのベネディクト会の修道士の書いた修道の道を勧める本である。翻訳第一版が1954年で、3版まで発行されていた。その本の中に次の文章を見つけた。
「Monachus(=Monk修道士)とはmonos(ひとすじの、たったひとつの、たったひとりでいる)に召された者である」(偽ディオニシオス)。ミリアムさんとの話し合いの中で彼女は修道者の中でも自分のように隠修士に向いている人とそうでない人がいると言われたが、私はもしかして隠修士向きかも?と思った。
高校生の時、高倉先生に連れて行ってもらった中国山地の山で星空を見上げていたく感動していたことを矩子奥様が何十年か後に熊本で会った時に私の思い出として小羊会で話されたのを思い出した。山に行ったのは先生と私の二人だけだったので、奥様は先生からその時の感想を報告されて聞いたことが忘れられなかったのであろう。その時以来、たったひとり、神を探し求める修道者の道を歩んできたのではないか。そして今、この黙想庵が与えられているのは偶然ではなく、成るべくして成った導きの結果ではないか。今回も、実に恵まれた、ひとすじに、たったひとつのことを求め、たったひとりでいる時を過ごした。
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