プロジェクトS 第10章 |
三度目の正直 私が佐木島に行ったわけ 作 平野 昇 |
映画マニアを自認しながら 私は、一度も映画撮影の場に行ったことがない。 いや 二度ほどその機会を 自分の方から捨てたことがあるのだ。 一度目の失敗。 今を去ること うん十年前、大学の3年生の時 深作欣二監督の「軍旗はためく下に」の撮影が 千葉の外房海岸で予定され、日本兵に扮するエキストラの募集が私の大学に来た。 人見知りで恥ずかしがり屋の私は、映画撮影は見たかったけれど 演技なんかできそうもないので 行くのをあきらめた。 できた作品を観ると 主演の丹波哲郎の後ろに何人かの知り合いが 敗残兵姿で座っているシーンがあった。 あれだけなら 俺にもできたなとは思った。 それから 約20年 今度はテレビで放映されたのを見た。 ラスト近く 丹波哲郎の妻である 左 幸子が、 夫の死の理由を初めて知り 新宿の街をさまよい歩く。 画面は、彼女の心のように揺れ 何やら異様な音楽が流れる。 何か聞いたような曲だ。 「君が代」ではないか!明らかに変形されているが。 妻は心の中で天皇の戦争責任を問いながら歩いているのである。 デフォルメされた「君が代」ならぴったりではないか。 誰だ こんな曲をつけたのは、と思って最後のテロップを見る。 音楽 林 光とあった。 (この曲が「君が代」の変奏曲であることは、後日 妻が林さんから確かめた。) ああ 何と言うことだ。 行って ちょっとだけでもいいから あの作品作りに関わっていればよかった! (追記 今日、記憶違いがないかと調べると この作品の脚本は、新藤兼人であることを知った。何たること) 二度目の失敗。 堀川弘通監督の「花物語」は、原作の舞台もロケ地も千葉県の南である。 ラストシーンの撮影が あるから見に行かないかと 千葉県映画センターの人に誘われた。 その日は、日曜日だったが疲れていたので 次の日からの仕事を考え 結局行かないことにした。 帰ってきた人の話によると その日は、殿山泰司がすごく 疲れていたようで 見ていられなかったとの事だった。 数週間後 彼は、死亡した。 そして 2000年 新藤兼人監督の「三文役者」を見る。 彼は、あの日の撮影が終わると家の階段で倒れ そのまま死の床についたことを知る。 殿山泰司の本の愛読者である(もちろん 映画もたくさん見ていますが)私は、彼の生涯最後の出演場面を見逃したのだ。 そして 三度目の話は、妻からもたらされた。「裸の島」のロケ地の島が見つかり見学に連れて行ってくれる人が 見つかったのだと言う。 二度あることは、三度あると言うではないか。 この機会を逃がしたら、 もうふたたびあの「裸の島」に行くことはできない。 そう思った私は、妻のお伴で佐木島に向かうことになった。 |