プロジェクトS 第26章
風景のちから 佐木島の思い出と映画「裸の島」 (中)
作 横浜の小屋住人
 「宿禰島」を舞台にした 新藤 兼人脚本 監督の映画「裸の島」をDVDで改めて繰り返し観見しました。 すごい映画ですね。
最初の導入カットから最後まで 一瞬も途中で目を外すことはできません ひとシーンひとシーン 1カット 1カットが 
ものすごく多くを語る映像だと思います。 はっきり覚えておらず 昔どこかで見た時の印象では 記録映画見たいなと
勘違いしていましたが 当時の自分は、全く理解する能力がなかったのです。 恥ずかしい限りですが 
高度成長のほうが一大関心事だったのでしょう。

 乙羽信子の演じるトヨの 華奢な体と足の細さ 重い水桶を担いで とても上がれまいと思うほどの急坂の島の高さ 
トヨの肩の向こうに見え隠れする美しい風景と光と風 苦労して上げた水を まるで関係ないように吸い込む芋畑の乾いた土 
疲れふらついたトヨが 貴重な水をこぼす とっさに 殿山泰司演ずる 千太が黙って駆け寄り トヨの小さなおなごの右頬を 
バチッと張り倒す、それでもトヨは 立ち上がって千太の差し出す担ぎ棒に肩を貸し 残った桶を担ぎ上げ黙って
水掛けを 続ける強い気持ちの持ち主だが たった八歳の長男を病気で(栄養失調だろう)で亡くしてから 
自ら島に埋めた埋葬の後にまた繰り返す水掛け作業 胸の潰れる思いのトヨは、今まで押しこらえてきた心が一瞬切れて 
貴重な水の入った肥担桶を突き倒し まだ植えて間もない自分が育ててきた貴重な芋の苗を 手当たりしだい引っこ抜きながら
乾いた土に 顔を埋めて慟哭するが このとき殿山の千太は 何も言えず自分も苦しい心を押し殺したように黙って
トヨと目を合わす。
 やがて 為す術もなく また芋へ水をかけ続ける作業 トヨもやがて立ち上がって残ったほうの桶の水を掛けてゆく 
一瞬悲しみを吹っ切ったような顔をさせたトヨだが 過酷な労働は、終わらず続くのだ、吸い込まれる水 
苦しい心の内も乾いた土に吸い込まれるのか 美しい見事なシーンだと思います。
私は、胸を塞がれ滂沱の涙なしには見られない。 何度同じシーンを見てもまた涙が出る。
どのシーンにも瀬戸内の美しい風景が添えられ重ねられて 林 光の音楽がそれを震わす。

 人は、何時までも悲しい事に関わり続けては生きていられない。 しかし 秋になって三俵の麦の収穫を黙って裕福な佐木島の
地主へ収め 残り一俵だけを自分の金に換えておとうちゃん 殿山千太のためか 一升酒を買えたトヨの顔は、誇らしげで
これからの希望と美しさがあります。 ちょっとした一コマですが、泣けて そして笑える。 苦労して生活を打ち立ててきた
日本人なら似たような経験がある よく分かる象徴的なシーンだと思います。

 小川の水を汲みに伝馬船で漕いで行く最寄りの佐木島の もう垣間見える裕福さや戦後の復興を示す情景 
それからの高度成長へと突っ走る自動車も もう写してあるが千太には、まだ荷牛も買えない。
 貧しくはあったが感受性の過敏な少年時代を 美しい風景の中で過ごした日本人のひとりとして とりあえず今は、
平穏に歳を重ねた私ですが この映像をより深くより多く理解出来る鍵を持っているように思えます。

 新藤兼人監督が 何故瀬戸内の島を選んだか を想像しています。
単なる映画制作技術上のことでなく 時代認識と分析 そして 深い思索と哲学の上に脚本が書かれたと思いますが 
叱られそうですが私が 勝手に想うことは、そうだ 必ずや瀬戸内の風景の美しさや匂いが 体に染み込んでいる方に違いない。
お生まれになった広島 呉 佐木島 瀬戸内の類稀な美しい島々や育った時代の身近な風景画が天才に「宿禰島」という場所を
選ばせたのだろう、と思っています。 あの美しい、形容しがたいほど美しい海 山 川 
そして光 この人たちの生活を忘れられるはずはない。 瀬戸内の風景が 間違いなく天才 新藤 兼人をも選び創りあげたのだ 
と思っています。
わたしさえ あの形容しがたいような柔らかい香しさの みかんの花の匂いや陽の光に融け合う葉の煌めきは、
ほんの数時間といえども忘れない。
 私に何の深い思索も勉強もありませんが 私は、その人の育った土地の美しい風景は大きな思想の源泉であると信じています。

二つの話です。

 ひとつは、私の愛読書である 作家 藤沢修平の小説ですが どの小説でも少しめくると至る所に心打つ美しい風景節を
描写が有ります。 早逝の長塚節を書いた「白き瓶」(文春文庫)の中で節の旅についての記述が心に残りますが、
私は、何故この作家は、美しい文章と優しい気持ちが表現できるのか 私の単なる興味にしか過ぎ無いことですが 
それを納得しようと 長年の思いが叶って 昨年作家の生誕地である山形 鶴岡を訪問しました。 背に金峰山を近くし、
月山などの出羽三山に睥睨され遠くに鳥海山を望み 日本海に臨める 正に思った以上の美しい庄内平野の風景でした。
さも有りなん と独り合点したわけです。 ご本人もいろいろなところで書いておられます。

 もうひとつは、数学者 藤原正彦氏が自著「古風堂々数学者」(新潮文庫)で紹介している事ですが 
インドの若き天才数学者 ラマヌジャンが、それこそ彗星のように現れ、普通の学者なら生涯で数個の公式を発表出来れば
良いと言われている世界で、神のお告げと言って莫大な数(3000も)の美しくも奇妙奇天烈な公式を発見したそうですが 
彼がたった32歳で逝った後のやっと生誕100年後の1997年になってすべてが 証明された とのことですが藤原先生は、
この審美眼の源は、彼の生まれた故郷にあり、と信じ わざわざ南インドのマドラス南方250KMにある故郷を訪問し 
正に考えたとおりの息を飲むような美しいヒンズー寺院に囲まれた寒村であった と記されている。
 この天才が 赤貧洗うが如き貧しい生活であったとも付記されている。論理の頂点にあると思われる数学と変幻多様な風景 
なんという取り合わせでしょうか

 世の異才が認めるように風景が、人に与える影響は、決して無視できない、特にそこで生まれ育った人々にとっては 
切り離せない重要な体の一部になっており 時々才能ある人にいい異異才を発見させるのかもしれません。
そういえば 我が鹿児島の故郷も どこをとっても実に美しい風景であったと思う。
しかし 私には基本的な才能が全く欠けており 風景遺伝子は、何の才も引き出そうとしなかったようで そのような例も
多く普通である。と思うものの風景は、人も選ぶ能力が有りそうです。

 この映画と脚本家 監督である新藤兼人のついて 一観客がこのような大先輩にして巨大な偉人のことを語る資格も全くないし 
そのような事を思うだけに失礼だと思いますが 世の優れた文学者と云えども とても生半可な事は、言えまい、と思います。
 今年 99歳のその道の現役であり この映画を含め残された多くの偉業について、既にあまたの研究と評論、
あるいは 評価と分析があるでしょうが それを見る力は 私人に有るはずもありません。
しかし 激しく大きく流れる河の縁に登り 渦中の人が気づかないことに気付き理解しそれを取り出して
皆へ見せてあげられる者が 真の芸術家なのだ、
類まれな才能と時代観察のできた異能だけがこの映画を残せたのだと思います。
 この作品は普遍的な物事を含み 今また そして将来も 時代が評価を積み増してゆくだろうと納得します。