プロジェクトS 第20章
「裸の島」を探して (上)
作 パトリック・プラド  訳 関藤 咲耶
 
 私が 「裸の島」のロケ地である宿禰島と佐木島を訪ねたのは、
2008年7月のことだった。
そこに至るまでには、長い過程があった。この作品は、フランスでは
「裸の島」あるいは、単に「島」というタイトルで上演されていて
「ああ あの曲でしょ」と言って テーマ曲まで口ずさむことが出来る人も
いるほど有名だ。舟を漕ぐシーン 四季をめぐる畑仕事の場面で
繰り返し何かを訴えるかのように鳴っていた あの曲だ。
「とくになにが起こるというわけではない、そして台詞なしの映画なんて
誰が見に行くのだろう?」そう思った人も多かっただろう。
しかし 「裸の島」は、日本映画の最高峰として世界に知られている作品の
ひとつである。
 もちろん フランスで人々が夢見る「静かで自然に溢れる日本
(漫画に出てくる現代っ子の 女の子たちは いつも男より強い
みたいだが)」というイメージにマッチしていたこともあるだろう。

 多くの「裸の島」ファン同様 私も長い間ロケ地を訪れることを
夢見ていた。本当に存在する島なのだろうか?どうやったら、
あれほど最小限の要素で映画が作れるのだろう?
ほんとうにあんな生活をしている人々が日本にいるのだろうか?
どうして、登場人物たちは水がない島に住んでいるのだろう?と。

 私自身、大西洋沿いのブルターニュ地方の内海に浮かぶ
小さな島に生まれた。
 祖父母の時代には まだ井戸があって水を探しに行ったのを憶えている。
この「Ile aux moines(坊主島)」には20世紀初頭、ポン・タヴェン派
(印象派の一派)の画家たちが絵を描きにやって来た。印象派というのは 
日本の北斎や広重などの版画に大きな影響を受けたムーヴメントで 
そのせいか 今でも この島には立派な松が聳え立っている。
剪定代が高いのが難点だが、空に美しく映える姿は絶品だ。
 また 戦前 Hayakawa Sesshu(早川 雪舟のこと)という著名な
日本人俳優もこの島に時々立ち寄り 松を見ながら 祖国日本を
思っていたという。
 彼に会ったことがある私の父は、「おもしろくて、おまけに美形の
ニッポン男児」と評していた。

 そんなこともあり 私の島「Ile aux moines(坊主島)」は、
「裸の島」こと宿禰島より少し大きいがどこかしら似通っているような
感じがしてならない。例えば、私の島は、ひと昔前までは賑わっていて、
いつでもどこでも人々がおしゃべりする声がきこえていたものだが今は、
人口が減り、すっかり静かになってしまった。
聞こえてくるのは自然の音ばかりという寂しさである。
「裸の島」の中でのように水の音 海の音 風の音しか聞こえない
ときもある。「これ以上過疎化が進んでしまったら いったいこの島は、
どうなるのだろう?」
 こう思い始め、私はフランスの田舎に突然訪れた変化 また、農業が廃れ
過疎化してしまった村がツーリズムに侵されてしまう現象について
研究した。
だから 「裸の島」もきっと同じような運命を辿り 観光地になって
しまったのだろう」と思っていた。
 神戸と淡路島をつなぐ明石海峡大橋のような巨大な橋の支柱のひとつ
にでもなり、パチンコや巨大なショッピングセンターと化したのだろうと。
 それでも 「裸の島」に行きたいという気持ちには変わりはなかった。

 2008年 一仕事終わった僕に、妻が、「行ってみようよ」と言い出した。
でもどうやって見つけるのだ?欧米語のインターネットにも映画の
ジャケットにも、瀬戸内海のどこかに浮かぶ小島と書いてあるだけで、
「裸の島」の本当の名はどこにも載っていなかった。
 でも 日本語のインターネットを駆使して、妻は、本名「宿禰島」を
見つけた。グーグルで写真も見つけたが、そのときは 本当のことを言うと
少し気が抜けたような感じがした。
「裸の島」は、新藤監督というアーティストの想像の産物であって
実在しないのだろうと 心のどこかで信じていたからだ。

 飛行機 電車 バス タクシー 船を乗り継ぎ佐木島に着いた。
妻は、前もって蜜柑を育てていらっしゃる御畑さんと何度かメールで
通信しており 御畑家の横にある「CAMP」という旅館に宿泊予約を
してあった。
 私たちは、着くや否や 御畑さんに温かく迎えられた。
 そして 御畑さんの後をついて、蜜柑が成る段々畑の真ん中まで登り 
「宿禰島」を見渡した。映画のシーンとまったく同じ島で、
あれほど恐れていた橋は架かっていなかった。
 御畑さんのお母様は、梅酒と冷たいスイカを出してくださった。
そうしているうちに「さぎしまを愛するボランティアガイドの会」の
開本会長が来てくださった。
あした、「宿禰島」まで船を出してくださる方だ。
 旅館「CAMP」の部屋は、島の真正面だったので 僕は、写真を何枚か
撮り始めた。まず驚いたのは 「宿禰島」は、瀬戸内海の真ん中にぽっかり
浮かんでいるのではなくて 本州からそう遠くないところにあると
いうことだ。
 映画がすばらしいのは、あたかも大海原に浮かぶ島であるかのように
映してあったことだ。もちろん 飛行機から撮影した部分は、
宿禰島ではなく 別のもっと畑が多い島だったということだけれど。

 映画「裸の島」は、ドキュメンタリーではない。映画の中では、
トーモロコシ畑だったところで麦が育っているようだったし 登場人物は、
たくさん水には困らない雨季だというのに 井戸に水を探しに行っている。
魚が豊かな地方なのに魚を釣るのに成功するのは、二人の子どもだけだ。
でも そんな矛盾こそがこの作品の魅力でもある。
 この映画は、生活のメタファーなのだ。
 毎日は、ちょっとした小さな喜びや辛苦や矛盾の繰り返しなのだから。
日本の俳諧の主題は、いつも時の移り変わりだ。はらはら舞う落ち葉 
泳ぐ蟹 海辺に落ちる松ぼっくり 風に揺れる着物の袖。そう考えると、
「裸の島」は、ちょっと長めの俳諧に似ている。
 父母 ふたりの子ども 海 そして淡々と過ぎる時。

 翌日 堀本逸子さんは、わざわざ私たちのために三原から連絡船に乗って
島まで来てくださった。前日 私が見とれていたすてきな家は、堀本さんの
お宅だったということがわかった。
 庭の大きな岩に新藤監督のことばが彫ってあり 灯篭があった。
 撮影時 この島に住んでいらっしゃたので 新藤監督やその妻で
主演女優の故乙羽信子さんをご存知ということだ。
 早速 開本さんが船を出してくださり 今は無人島である「裸の島」に
連れて行ってくださった。
次回につづく