プロジェクトS 第2章
裸の島添乗記   作  御畑 完治
そのメールは、ある日突然 わがPCに飛び込んできた。
「裸の島」の大ファンだという 広島の山本 純子さんからである。
友人と共に あの 宿禰島に渡ってみたいという。おまけにわが農園に
立ち寄って トマトをもらいたいとおっしゃるのである。
本来ならばまったくもって ぶしつけでおまけにずーずーしいメールで
ある。

 しかし その時わたしには、なにかひらめきと胸の鼓動を覚えた。
御畑農園ホームページの一部に掲載されている
「裸の島」の情報をもとにやって来た「裸の島」の大ファンを自認する
彼女たちの必死の思いがメールの中に感じられたのである。
 次の日から わたしと山本さんのメール交換が始まった。
そして 20日後の8月4日我々は、劇的に出会うのである。

 8時45分 三原港からのフェリーが鷺港に着岸した。
ひと目で分かる 男性一人を含む彼女たち4人の恰好 
「あ!あのひとたちだ!」迎える3人が口をそろえた。
そして あの人達ならば頂上まで行けるかも知れないと 
わたしは、思った。宿禰島上陸 登山に関しわたしは、
ある不安を持っていた。「裸の島」大ファンの彼女たちの体力である。
年齢が60歳前後であろうと推測された段階で わたしは、
船長である弟のほかにもう一人の応援をいとこに頼んだ。
いざという時には 2人で引っ張り揚げれば頂上に立たせて
あげられる覚悟もしていた。

 お互いの自己紹介もそこそこに我々7人は、弟のボートに乗り込んだ。
あっという間に宿禰島の近くに着いた。
彼女たちが異様に興奮している事が 我々にも伝わってくる。
小さな上陸艇に分乗して いざ 上陸だ。
 無時 上陸を終えた4人を待たせ わたしといとこは、登山口を探した。
わたしも30年ぶりくらいの 宿禰島への上陸である。
なかなか あの乙羽さんたちが水桶を担いで登った道が見つからない。
まるで原生林である。
 しかし 標高は、わずかな島なので意を決して登山を開始した。
5分ほど歩いたがそれらしき道が見つけ出せない。
それでも彼女たちは、必死に我々の後をついてくる。
10分後昔の畑らしき痕跡を見つけた。あの 芋畑である。
 しかし 今は、背丈ほどのシダに覆われ我々の行く手を阻んでいる。
わたしといとこは、鎌を使って道を切り開いてゆく。

 20分後 昔一人で住んでいた村上老人の住居跡の窪地の上に到着した。
建物の痕跡はない。イチジクの木も見当たらない。
しかし 間違いない ここだ!あの「裸の島」の頂上だ!芋畑の頂上だ!

 そこには 大きな櫨の木があり 我々に木陰を作って待っていてくれた。
汗をかいた体に涼しい潮風が心地いい。
そして 4人の「裸の島」に対する思いを たっぷりと聞かせてもらった。

 わたし自身変人を自認するところが少しばかりあるが 彼女たちと比べれば・
そして 彼女たちが新藤監督 林 光さんの狂信的信者である事を
あらためて知った。4人の話は尽きない。
 11時近くなったので下山を提案する。

 海岸線を探索してみた。湧き水を貯めていた所が見つかった。
しかし わたしといとこがいくら探してもあの鯛を泳がせていた水溜りが
見つからない。
42年を経て唯一変わっていないと思っていた海岸線も変貌していた。

 鷺港に上陸艇を預け 柄鎌瀬戸にクルージングに出かけた。
オープニングシーンに登場するあの段々畑を見るためである。
しかし 宿禰島同様そこには 耕して天に至ると言われたあの畑は・・・
時を経て自然の山に戻っていたのである。

 我が家で汗を流してもらい 一息ついた。
そして 昼食を兼ねた懇親会である。山本さん 佐々木さん 平野夫妻 
弟 いとこに伝馬船操縦の指南役 堀本さんを加えた8人でまたまた話は
盛り上がっていく。

ほんとうに よかったと思った。4人を宿禰島に案内できて 
ほんとうによかった。インターネットの出会い系サイト?で知り合った 
我々8人は、時間を忘れて 新藤さん 乙羽さん 林さん 「裸の島」に
対する自分自分の思いを語った。別れの時間が近づいた。
もう1時間時間をもらい 新藤さん自筆の記念碑 庄屋さんの家の塀 
医者の家の玄関先の3箇所ほど案内した。

 類は類を呼ぶの例えの如く 変人は、大変人を呼んでくれた。
42年前に作られた この佐木島で作られた「裸の島」という映画に
魅せられた4人の大変人たち ありがとう(感涙)
そして 彼女たちの他にも 全国には、もっと多くの大変人がいる事も
知った。そんな人たちに何か出来ることはないかと 
発足したのが プロジェクトSである。

 いま わたしは、「裸の島」を見ながら 「裸の島」が見える場所で 
映画「裸の島」が上映できないか?と本気で考えている。
こんな事を考えているわたしは、大変人だろうか?