プロジェクトS 第23章 |
愚かさを教えてほしい 作 千葉の磯八 |
七年前に再度「裸の島」を 見ることができた。この時、半世紀も前に 佐木島で不思議に感じていたことを恥ずかしく思い出した。 「裸の島」を見ていた島の多くの人は、映画の訴えたいことを理解し、 感動していたのだ。楽しさや美しさだけをもとめていた磯八が 何も感じなかっただけなのだ。いくら いい映画を創っても、見る側に その能力がないと つまらないものに見えてしまう。 国際グランプリ賞を受賞した意味も 再度観ることによって少しだけ 分かった気がした。 肌の色が違っても人間の本質は、変わらない。生き抜くことは 共通のテーマで理解するのに言葉は、必須ではない。 国際グランプリ賞に選んだ外国人も素晴らしいなどと言わずに 黙って一票を投じたのだろう。「裸の島」は、黙って外人さん達に 感動を与えたのだ。 生きること いや 人間らしく生きぬくことの大切さをテーマにして 無言でしかもモノクロであることが 相乗的に脳裏に焼き付けられた。 新藤監督は、どうやってこのような手法を編み出され ドラマを思い つかれたのであろうか?さすが大監督である。 磯八は、中国でハルピン ジャムス そして ロシア国境の虎林まで 足をのばし戦争の傷跡を見たり 残留孤児に面談する機会もあった。 今でもアムール川の近くには関東軍の飛行機格納庫跡が無残な形で 残っている。日本の落とした不発弾が今なお農家の庭先に転がっている。 日本から毒ガスをこんな所まで運んできたのか?どうやって こんなものを造ったのだろうか? 磯八は、戦争の本当のことなど何も判っていないが、言いようのない 虚しさと戦争の恐ろしさを感じられた。 そんな関係で どうしても訪れてみたい島があった。 「裸の島」の近くにある大久野島であり 三年前に訪れることができた。 現在は、国民休暇村 大久野島宿舎も建設され 港に着くと沢山の ウサギが出迎えてくれる。一見 平和な楽園である。 しかし 瀬戸内海国立公園の中に存在するこの島は、国際的に使用が 禁止された毒ガスを製造していた。 この事実を隠蔽するため一時的に 地図からも抹消されたことがある。 自転車を借り 島内を周ったが 立ち入り禁止の札が建っていた。 磯八は、衝動的に立ち入ってしまった。 そこには 今でも怨念が 渦巻いており呪縛された、中国人の それではない、製造に関わり負傷された人達のそれである。 この島で製造された毒ガスは、あの中国にまで運ばれていたのだ。 10万人の人々を死傷させたという貯蔵量は、全人類の2倍の人を 滅亡させるに十分な量であったとか。 国際条約に違反してまで毒ガスを 製造してしまう戦争 戦争になると 人間は愚かさで非人道的になってしまう。大久野島は、その人間の陰の 部分を感じさせてくれる。 戦後 日本が毒ガスの事実を隠蔽しようとしたことは仕方ない。 この事実を抹消せず毒ガス製造の残骸を遺構として残してくれたのは 日本の良心であろう。 現在でもこの事実を世に問うことに難しさを感じる。 人間の生き方を教えてくれた「裸の島」を見てふと思った。大久野島を 題材にして新藤監督方式で映画化できないものだろうか? もしそんな時代が来たら 大久野島は人間の愚かさを教えてくれるに 違いない。 映画「大久野島」にストーリーは 不要であり 白黒映像で無声で あることがより効果的ではないか。 シナリオさえも必要ないのでは ノンフィクションそのものなのだ。 ☆ 計画した軍人 心理 ☆ 製造現場 傷ついた人達 中毒患者 病院 ☆ 製造のための発電設備 虚しさ ☆ 貯蔵と輸送 そして投下 思っただけで場面場面の悲しさ 恐ろしさ そして 人間の陰の部分で ある愚かさが伝わってくる。 拉致や核開発を志向している困った隣人 金さん親子にも映画 「大久野島」を見てもらい 人間の愚かさの部分に気がついて 欲しいものである。 瀬戸内には、ヒロシマの原爆ドーム 呉の真珠湾攻撃に使用した 潜水艦 大久野島の毒ガス製造跡 そして 平和な「裸の島」と 戦争と平和が凝縮されている気がする。 人間の生き方 人間の愚かさ を知ることにより、平和な戦争のない 世界になって欲しいものである。 |