プロジェクトS 第29章
新藤 兼人先生 ありがとうございました   作  堀本 逸子

撮影 部谷 京子
 平成24年5月30日 とつぜん先生の訃報を知りました。
東京での「100歳のお誕生日会」では 元気なお姿にお会いし 親しくお話しして参りましたのに

 6月2日と3日 東京都港区 増上寺で最後のお別れをしました。
新藤先生のお孫さんで 映画監督の新藤 風さんが増上寺でお会いするなり「祭壇は、「宿禰島」をイメージしたものです。」
と話してくださいました。青い花で飾られた海 真っ白な花で飾られた「宿禰島」 その中に先生の遺影がありました。
故 林 光さんの「裸の島」のテーマ音楽が流れ 感極まりました。52年間の先生との交流が走馬灯のように思い起こされ 
涙が止まりませんでした。

 昨年の三原映画祭では 三原市や佐木島の方々への感謝を込めたビデオレターを送って下さいました。映画「一枚のハガキ」では 
主人公の新藤先生役を演じた豊川 悦司さんの出身地を 広島県三原沖の佐木島のものです と設定くださったことも 
とても有り難く思いました。先生の想いや お言葉は、私の心にいつまでも生き続けることでしょう。また それを語り継いで行きたいと思います。

 映画「裸の島」を観て感動された 米アカデミー賞俳優のベニチオ・デル・トロさんは、ニューヨークで初めて 「原爆の子」「裸の島」他11本の
新藤作品を 企画上映されました。デル・トロさんは、ご本人の希望で ご多忙中にも 今年5月10日に「裸の島」のロケ地 「宿禰島」 
佐木島を訪問されました。「宿禰島」に大変感動され佐木島の皆さんの温かい歓迎を喜ばれ 故郷を思い出されたそうです。
私は、デル・トロさんと話す機会を与えられました。席上 デル・トロさんは、終始笑顔で話しやすく 優しい方とお見受けしました。

 今や「裸の島」は、世界中に知れ渡りました。フランスのドキュメンタリー映画監督のパトリック・プラドさんも「フランスの映画界で
「裸の島」を知らない人は、いない・・」と言われ 3年前「宿禰島」佐木島に来られました。

 私たちは、新藤先生から世界に通じる「裸の島」の映画を 頂きました。これは、佐木島にとって宝物であると同時に 私にとりましても 
大切な宝物です。
 新藤 兼人監督 乙羽 信子さんとの出会いは、いろいろな意味で 私を育ててくれました。生きることの意味を 幅広くしてくれました。

新藤監督の言葉として有名なのは、『生きている限り 生き抜きたい」ですが お孫さんに付けた「風」という名前は、
「どんなに辛いことがあっても 生きるんだ午前中に吹く風と午後に吹く風は違うんだ」という意味を 込めたものだとお聞きしました。
先生のお言葉の数々は 何時までも私の心からきえることはありません。

 新藤監督の遺骨の一部は、乙羽 信子さんと同様 「宿禰島」周辺に散骨されるそうです。
美しい瀬戸内海で 乙羽さんとお二人・・・・安らかにお眠りください。

 先生 本当に 有難うございました。

 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。