プロジェクトS 第30章 | ||||||||
出会いは、いつも 突然に 作 御畑 完治 | ||||||||
私が フェイスブックなるものを始めたのは、昨年の1月17日だった。徐々に 友達も増えてきた。 今年の2月のある日 面白い メッセージが送られてきた。 「御畑さま 初めまして。部谷 京子と申します。プロジェクトSを プロローグから全部拝読し終えたところです。 私は、新藤 兼人監督と「裸の島」が 大好きで近いうちに「佐木島」と「宿禰島」に行きたいと願っている者です。 新聞報道等で既に ご存知かと思いますが、4月〜5月に広島で開催する 「新藤 兼人 百年の軌跡」の言い出しっぺです。 広島市出身で普段は、東京で映画美術の仕事をしておりまして、3年前から地元広島で「ダマー映画祭INヒロシマ」を開催しております。 尊敬してやまない同郷の大先輩 新藤 兼人監督の100歳をお祝いしたいと「新藤 兼人 百年の軌跡」を企画いたしました。 御畑さまに是非お目にかかって 監督のことや「裸の島」のロケのことなど色々とお伺いたいと 思っております。 日程は、未定ですが また連絡させていただきますので何卒よろしくお願い申し上げます。」 なにやら、この春 広島で新藤監督の100歳をお祝いして 監督の全作品を上映する プロジェクトがあるらしいとは 知っていたが その 言い出しっぺの 部谷 京子なる人からのメッセージに びっくり!!!! すぐさま ウィキペディアで調べてみると どうやら日本を代表する 映画美術監督らしい・・・・ 3年前のフランスの映画監督 パトリック・プラド氏につづいて 大物がかかったぞ!?早速に メッセージを送る! 「きゃーーーー大感激!!!!お待ちしております。」 こうして始まった 部谷さんとの交流は、4月に入り 益々深まっていく。 4月11日 プロジェクトSでお馴染みの 開本さんから「27日 「宿禰島」に渡り 市の観光課の人たちと 頂上までの道づくりを 手伝ってくれ」との電話が入った。開本さんは佐木島のボランティアガイドの会長さんでもあるのだが どうゆうこと? 11日の新聞に載っていた 5月10日に新藤 次郎近代映協社長とデル・トロ氏なるハリウッドスターが 「宿禰島」に上陸するので その準備らしい。部谷さんが 三原市民映画祭実行委員会の中野さんに 登山経路の確保を依頼したようだ。 そして その依頼は、中野さんから開本さんへと流れて行ったようだ。 早速 部谷さんと連絡を取ると 5月10日には、部谷さんも同行するとのこと いよいよ面白くなってきた。 4月27日 私と開本さんは、「宿禰島」に向かった。そこで 部谷さんのお兄さん・「新藤 兼人 百年の軌跡」の実行委員会事務局長の 木村女史・市の観光課の職員と合流し作業を開始する。3年ぶりの上陸 相変わらず草木が生い茂っている。 52年前の道は、今回も見つけることは出来なかった。 5月8日 中野さん 市の観光課の職員が来島。 堀本 逸子さん 佐木島ボランティアガイドの皆さんを交えて 10日の作戦会議 色々なアイデアが出てくる。
そして迎えた 5月10日 前日の雨も上がり 風も無さそうだ。昼食を早めに済ませ開本さんの船で三原港に向かう。 しかし 約束の時間になっても 部谷さんたちは、現れない・・・そうするうちに 風が出てきたようだ・・・上陸に関して最大の難関は 風だ! 桟橋の無い「宿禰島」に上陸することは、容易ではないのだ! 予定を大幅に遅れて やって来た初対面の部谷さんとの挨拶も そこそこに「宿禰島」に向かう。そして 無時に全員上陸する事ができた。 約1時間の滞在を終え 佐木島に帰る。 鷺港の桟橋には 鷺浦小学校の全校児童13人が 手作りの横断幕で大歓迎! そのほか ボランティアガイドの皆さん 多数の島民の歓迎ぶりに デル・トロ氏たちは、大満足!報道人も 新聞社が数社 テレビ局は、地元三原ケーブルテレビとRCC中国放送だ!近かい部谷さんやデル・トロ氏に沢山のサプライズを用意した。 島を去る時間が 迫って来た。今日は、ほんとうに時間に余裕がなくて 部谷さんともゆっくりとお話しすることが出来ませんでした。 またいつか ゆっくりとお話しできる日を楽しみにしています。 (余 話)デル・トロ氏は、日本を離れる時「あの時のトマトは、美味しかった!」って 言っていたと部谷さんが 教えてくれました。 |