プロジェクトS 第31章 | |||
再会 作 御畑 完治 | |||
7月22日 開本さんから 電話あり 「24日 一緒に行ってくれんか?」もちろん 行先は、「裸の島」 「宿禰島」である。 24日に 新藤 風さんが RCC中国放送の特別番組のスタッフと供に お忍びで島に渡りたいとのことである。 うん???一体何事???まさか 新藤監督の散骨? すぐさま 部谷 京子さんに伺ってみると 彼女は、このことについては 何も知らなかった。ただ 「風さんをよろしく!」とのことであった。 24日午前9時25分 わたしは、開本さんの船に乗って 待ち合わせの場所の三原港に向かう。 気温は、ぐんぐん上がってきている、しかし 幸い風はない! 約束の10時5分前に 三原港に到着。風さんは、まだ来てないようだ。しばらくすると 同行する三原市の職員がやって来た。 風さんは、新幹線で やって来るらしい。そうこうするうちに 放送局の車が到着。風さんも到着してメイクが始まったとの連絡が入る。 時刻は、11時前である。おいおい!!どうなっとん??市の職員!冷たいものくらい差し入れせんかい!!! 11時を回って、やっと 風さんが チャーターしたモーターボートに乗って 三原港を出発するシーンから撮影が始まった。 こちらは、漁船 足の速さが違う・・・一足遅れて「宿禰島」に到着!土居さんのモーターボートからでは 上陸はできない。 全員 開本さんの船から あゆみを使って上陸を開始する。 今回の上陸メンバーは、風さん 放送局から6名(カメラマン以外 5名は、女性!)市役所から一人 なんと 女性が6名! 大丈夫かな????ここで やっと私の出番 というわけである。 一人も海にてんらくすることなく上陸に成功!さー登山開始!!! 5月10日の時点で 芽吹き始めていた わらびが腰丈より高く伸びている。それらを刈り払いながら一行は、進んで行く。 おっと 忘れとった。 「宿禰島」上陸直後 やっと 風さんに挨拶をすることが出来ました。「この度は、監督の・・・・」と呼びかけた途端「完治さんでしょ!」 「御畑さんでしょ!」えーーーーーー!!!!!! 2003年5月31日の初対面(この時の様子は、プロジェクトS第7章をご覧ください。)から9年の月日を超えた 感激の再会でした。 風さん 相変らず かっわいい!ほんと 風さんって気さくなお嬢さんです。次郎社長は、私より 4〜5歳上だからちょっぴり 我が娘みたいな感じです。 52年前 今日のような熱い炎天下の下 近代映画協会の撮影スタッフは、連日この島に渡り 撮影を続けました。 風さんも 当時の様子は 監督から聞いているらしく 今回が初めての「宿禰島」上陸を楽しみにしていたみたいで 折角のメークが流れ落ちるのも忘れて「あっちが 尾道?」「あっちが 花火が上がってた方?」と 次々質問が!カメラを忘れて 飛びます! 「宿禰島」での感激の時間は、あっという間に過ぎて行きました。下山の時間となりました。 島を離れる少しの間 海と戯れる風さんは、ほんと かっわいい! いよいよ 「宿禰島」とお別れです。開本さんの船は、カメラマンを乗せて 風さんを撮影します。 風さんが ちょっぴり 涙ぐんでいるように見えたのは、わたしだけでしょうか? 鷺港に着きました。お迎えは、放送局の運転手と広島映像ライブラリーの鈴木さん 取り合えず水分補給が急務! ほんと 熱中症寸前でした。 そして 堀本 逸子さんの実家に移動!時刻は、とうに1時を回っていました。私は、ちゃっかり風さんの右隣を確保して 昼食タイム。 「田舎のおじいちゃん おばあちゃんの家に来てるみたい!」というぐらい 風さんは、ここがお気に入り! 昼食後は、本来の目的である 特別番組の撮影を再開! まずは、伝馬船が着く海岸へと思ったら 風さんが「水汲み場に行ってみたい!」と ハイ ハイ!道案内は、私の出番です。 4カット程撮って 港方面に移動開始。その途中風さんに「向こうに見える家 殿山さんが医者を探す場面に出てくる家ですよ!」 と説明すると 「近くに行って見たい!」と 風さん!私と二人で歩き始める! 「「裸の島」が撮影された 52年まえの風景と 現在の風景を出来れば同じアングルで写真におこしてみたいんですよ!」 と 風さんに言うと 「ぜひ やって下さい素晴らしいロケ地マップが出来ると思います。」と 答えていただきました。 ありゃ?カメラが付いて来てない? 「風さんが そちらから帰ってくる場面を撮りまーす!その時は、御畑さん!カメラに映らないように注意して下さーい」だって おいおい 風さんと私の2ショットはいらないみたい!!??これって 風さんが 佐木島に渡って来た目的と違うんじゃないの? 今回の風さんの 来広島の目的は、初めての「宿禰島」上陸以上に 52年前のあの日あの時以来 監督と親交がある 堀本 逸子さんを はじめとする三原や島の人たちに 監督に代わって改めて お礼をすることにあったんじゃないのかな? いよいよ お別れの時間になりました。もっと もっと ゆっくりと風さんとお話しを したいと思いました。 9年前 風さんにキャンディーを頂きました。今回は、コーラのペットボトルを頂きました。やっぱり あの日からずっと ずっと 風さんとの縁は、繋がっていました。 風さんは、晩年の監督と一緒に生活しながら 多くのことを学んだと思います。 その事が これからの 風さんをより大きくしてくれると思います。 風さん!また お会いしましょう!きっとね! その時は、「ふうちゃん」って 呼んでもいいですか?
最期になりましたが 故新藤監督に対し 謹んで哀悼の意を表します。 合掌 |