プロジェクトS 第4章
絵日記風 ひと夏のドラマ    作  佐々木 信江
 今 しみじみと思い出す ひと夏のあのドラマ。
実現した時は、なんだかボーとしたり興奮したりで 念願かなった感慨をかみしめる ゆとりはなかったのだろう。
半年経った今 新しい年を迎えてどうやら発酵してきた あの日の我が歴史的出来事。

 ずっと以前 広島で「裸の島」を新藤兼人監督と作曲家 林 光氏の対談付で上映するという企画が 
ヒョウタンから駒で実現した時から 新藤監督の生家の探索と「裸の島」への旅が私の胸の中で 
フツフツプクプクと膨らみつつあった。
 1990年の夏だったか秋だったか 東京の大衆的居酒屋でたまたま 隣に座っていたほろ酔い状態の 
作曲家林 光氏(名曲 「裸の島」の作曲家ですぞ!)に映画の話題の続きで何となく持ちかけた話から
林 光氏「ぼくが新藤さんに話してみましょうか?」で トントンと決まってしまったのだ。


 1960年は我が人生の冬の時代 19歳。ある時 労働組合の主宰で上映された 映画「裸の島」をみた。
内容を鮮明に覚えている訳でもないのに 妙に残像が濃い。貧しさに涙したような気がする。
でもその音楽には 強く引き付けられたらしく(そりゃそうでしょう。セリフが無いんだから」)
最初のフレーズだけをずっと忘れていなかった。・・・・・続きはほとんど記憶なし。

 元来 映画というものが好きで 小中学生の頃は禁止されていても 友人とコッソリ(母親のショールを
頭からかぶり)家の真裏にある「偕楽座」へ出没したものだ。
「野菊の如き君なりき」監督は 木下 恵介だったか?笠 智衆 杉村 春子があまりに上手いので 
民さん役の新人女優の下手が目立ったけど ずっと泣き通しだったことも懐かしい思い出。
原作は 伊藤 左千夫の「野菊の墓」。
 話がそれちまった。まだまだそれたいところけど 留がなくなるから本筋にもどします。

 さて 広島での「裸の島」対談付上映は、大ヒット!その後 東京バージョンとして二度開催された。
何しろお二人とも上等なユーモリスト。撮影中の逸話や芸術創造の汲めども枯れない井戸のように話が 
次から次へ広がり笑いが絶えなかった。
クライマックスは、林 光氏のピアノで「裸の島」の演奏とくれば至福と言わずして何といおうか!
新藤監督曰く「これは渇いた心に水をやる映画 ぼくも渇いたら水やりしてこれからも映画を作る」と。
 新藤兼人 90歳 記念バースデーコンサート(恐れ多くも対談の相手をおおせつかったのである 
林 光氏のシナリオがあったからできた)の打ち上げの会場で少しアルコールの入った 高揚した気分でつい 
マイクを持って胸の内を語ってしまった。(ちなみに新藤監督はお酒を飲まない人)平野 容子は、
紀行文の中でやや品なく 「裸の島ツアーを組まにゃあいけんね。」と私が 言ったと書いているが 
ここで訂正。正しくは 「裸の島ツアーを近いうちにどうしても実現させたいと思っているんです。
いっしょに行きたい方はいませんか?」こう呼びかけたらたった一人「ハイ ハイ 行く行く!」と 
派手に手をあげたのが 平野 容子である。
 それにしてもあの時 他に一人も同調者がいなかったのが 今でも不思議。
ひょっとしたら「佐々木と山本の奇人じゃあ・・・・・」と みんなに敬遠されたか!
さて ここからいよいよ やっと島のツアーの話にはいります。

 どうにかこうにか 8月4日という日を いっぱいのスケジュールからひねり出し決行。
私の計画では(東京でマイクを持つ以前)まあとりあえず一人で 下見のつもりで訪ね 
その後 仲間を誘ってくらいに考えていたが 我が友人中の友人 山本 純子は、
そこはそれ 
出会い系サイトとやらの 21世紀のハイテク技術を駆使して このツアーの運河の扉は 
ここに開かれたのである。
 扉の向こうにいたのは、みかん作果(家)で 「裸の島」オタクの 御畑 完治さん その人であった。
あまりのスピード情報に私は、口をポカンと開けたまま 事は進んでいったのである。
(私は、ローテク人間・・・何のことはない頭が悪くて 機械に超弱・・・・・)
 平野 容子のつれあいには 面識がなく したがって ことばを交わすのは始めて。
でも 昔からの知人のようで 少しさらば草原にさしかかった頭髪だが 気さくで元気な青年教師?
といった感じで よかった 良かった。(酒とも大の仲良し)


 三原港から 佐木島 鷺港へ向けてフェリーに乗り込む。
定年退職したフェリー おっとフリーの身でもあり気分ワクワク。
定刻に船は、スイーと岸壁(というのは古いか)を離れた数分後
「あれ あの島 あれだあれだ!あれが宿禰島じゃない?」「そうよ そうよ」と もう4人は、
船室に留まってはおられない。
船のデッキの欄干にベッタリ体を寄せて 次第次第に近づいてくる「島」に 胸の高鳴りを押さえられない。
 美しい 実に美しい 大きさといい シルエットといい 環境といい ほんとに個性的孤独的な
たたずまいなのに あたたかい。新藤監督の美眼に射止められるはずだ。
あっ 忘れた!長袖。この炎天下だもん 半袖じゃ○○ハムになる・・・・・借りられるかしら?

 あーっ 到着。鷺港。港っていいなあ 小さい程 趣がある。すぐ岸壁に漁協
(農協の間違い 御畑訂正)
倉庫があって(と 記憶しているが)それに沿って 4人は歩いて行く。ウォーッ!感動的出会い。
握手(したかな?)。初対面で緊張するぅー
 みかんづくりオーソリティーの御畑 完治さんも 少々緊張の面持ちの笑顔で迎えて下さった。
他に いとこさんと弟さんも。それぞれボートを出したり 漁船を出したり援助して下さることになっている。
御畑さんの首に巻かれた白いタオルがプロフェッショナル風だ。そして 長靴 ウェストのがんじょうそうな
ベルトについた文明的な道具は何?早速に恐縮しつつ 長袖のシャツをお借りしたい旨を伝えると
サーッとどこからか ブルーの木綿の肌ざわりの良い男物のシャツが手元に。
この自然な対応は まるで 私が借りる事を予約していたみたい!感激してしまった出足がいい。


 こうして書いていると次々に細かいことを思い出して ゴチャゴチャと稚拙な筆が動いて仕方ない 許し給え。

 私たちは、まず強そうな弟さんの漁船風モーターボートに乗り 今度は浅瀬に乗り入れる為にいとこさん
(名前を忘れてすいませんね 気持ちのやさしそうな)の上陸艇に移り 目と鼻の先にある 
あの 「裸の島」が撮影された 乙羽 殿山夫婦と二人の少年が暮らしたあの島へ 小さな上陸艇が巻き上げる 
すざまじい波しぶきを浴びながら 劇的に上陸した。

 潮の匂いが素敵だ どんなにヤブが深くても私たちは、御畑さんのの指示通り山行の出で立ちなのだから
たじろがない。まして 二人の頼もしい若い男性が鎌や斧でバッサ バッサと巨大なわらびの親やシダ類を 
切り開いて道をつけて 水先案内をしてくださるのだから楽しくて仕方ない。
20分程で 「ここ ここ
と 件の場所に立ったのである。なんといい木陰なんだろう 涼しい。
陰をつくっている大木は、はぜの木。


 この島 宿禰島の頂上の中央に陥没した部分がある。その深さ2〜3mもあろうか周囲20mあるかないか
(この辺あいまい)「ここが4人家族の小屋があったところよいちじくの木も失くなっているなあ」と 
会話が聞こえる。ふ〜ん?あの住まい こんなにへっこんでたっけ?と 小さくつぶやく。
周囲の樹木が育ったのでよけい低くみえるのか どうも何辺も映画を見ていてもまだ甘いようだ。
何か錯覚しているぞ!でもどうしていちじくの木が亡びるの?ドラムカンのお風呂から見た風景は 
どっちの方向?その時はあまりの心地よさに興奮していたのか またまたボーっとしていたのか 冷静さを
失っていたのだろう。話題にするのも忘れてしまって・・・・・
2時間も居たということだけど 「いつまでも居たいね」 と4人は、40年前と今を行ったり来たりして 
感慨ひとしおだった。


 昼食は、佐木島でただ一軒の食堂という 「福ちゃん」で大酒宴。 
撮影当時 宿舎になったこの島には 飲屋がなかったので 肝硬変で危なかった殿山 泰司の病気が
すっかり良くなったという話は有名だ。
 そこへ 伝馬船の船長 堀本さん現る。映画の中で殿山さん乙羽さんが しょっ中 伝馬船を漕いだけど 
その漕ぎ方を指導した人だ。小がらできゃしゃ。でも さすがだなあ 美しい褐色の腕が海で生きた歴史を
語っている。
 林 光氏のことを「あのひとは えらい人ですよ」と 見抜くというところが人並じゃない。
しかし 男性たちは堀本さんをのぞいて 飲むは 飲むは 「福ちゃん」のビールのストックが底をついた
のではないかしら?でも ケロリとして 御畑さんは、乙羽さんが泊まった宿屋 その前の植え込みに
置かれた記念碑 映画のシーンにあった地主の家(ほぼそのままだった)小学校 と目いっぱいの
「裸の島」巡りは、とてもとても充実したツアーとなったのである。

 「福ちゃん」で飲んで話して盛り上がっているうちに 御畑さんの目がギラギラして来た。
それは何か 2003年の8月13日 港の広場で「裸の島」を上映したい。
全国から里帰りする島人たちにみせたい という想いだったのだ。すばらしいではありませんか!
何とか協力したいと 4人は、即座に団結した。そして夢は ふくらむふくらむこと。
新藤監督と林 光氏を招くことはできないか 実現すればすごいことだ。対談としては、4回目になるけれど
何と言っても 撮影された島での対談であり 上映であるなんてことはとてつもなく豪華でドラマティック。
新しい話がきけるにちがいない。小学校には程よいホールがあってピアノも座っていたではないか。
あの名曲「裸の島」を島の人たちの心に 届けることができたら 特にこども達にも届けることができたら 
おそらくこの作品は、佐木島にとって大切な 大切な文化財となって残るでしょう。
 「ふくろう」という 新しい映画がクランクアップした今 新藤監督 益々元気で その「ふくろう」は
とてもいい!と 音楽担当の林 光さんから情報が入った。

 8月13日 8月13日 すぐ来る!港で広げられる映画会を想像すると 胸が高鳴るでは
ありませんか。