プロジェクトS 第7章 |
縁は、異なもの 味なもの 作 御畑 完治 |
それは、大袈裟に言えば わたしを変えた山本さんからの 1通のメール!!!! わたしのHPの片隅に掲載している「裸の島」の記事を発見し 見ず知らずの わたしにドあつかましいメールを送信してきた忘れもしない 2002年7月16日 不覚にも わたしは、返信してしまった 2002年7月16日 新藤監督と林 光さんの狂信的信者(大変人)と遭遇した 運命の2002年7月16日 そして 私たちは、2002年8月4日 初めて 言葉を交わした。 あの暑い夏の日から1年が経過しようとしている。 三原市では 新藤兼人監督の文化勲章受賞記念実行委員会をたちあげ 5月30日(金)〜6月8日(日)の間を 新藤兼人ウィークとして設定し プロジェクションイベントとして新藤監督にまつわる10作品を 上映するほか 監督の舞台挨拶 ゲストトーク パネル展など多彩な行事を 計画した。 わたしも 仕事の都合をつけて 5月31日に出かけてみた。 この日は、「原爆の子」と「午後の遺言状」が上映された。 その間に 新藤監督 新藤 次郎社長 新藤 風監督の舞台挨拶も 行われた。 2作品ともわたしにとって 初めて観る作品であった。(ここで 改めて断っておくが わたしは、けっして 新藤 兼人オタクでもなければ 林 光オタクでもありません!) ただ このプロジェクトSを立ち上げた時から ぜひ一度 新藤監督を はじめとする 「裸の島」関係者の人たちとお会いしてみたかったのである。 堀本 逸子さん(「裸の島」撮影当時 乙羽さんの常宿の娘さん) それ以後 (新藤オタク)の計らいで 次郎社長と風さんのお二人に 引き合わせていただいた。お二人ともとても気さくな方で わたしのような者にも 優しくお話しくだされたので 非常に感激したのだが さて何のお話をしたのか あまり覚えていないくらい わたしとしては ドキドキであった。 唯一覚えている事は 監督が三原市長・マスコミ各社と懇談されている場に 立ち会うことができ 運よく風さんと隣り合わせになった時 彼女がさりげなく キャンディーを一つ下さったことくらいだ。 (ひと目でファンになってしまいました。)なんともお恥ずかしい話です。 その折 名刺を差し上げわたしのホームページに 遊びに来てくださいと お願いしたのですが この時の出会いがこの先どんなご縁になっていくのか 楽しみである。 それにつけても 先の30日に風さんの第1回監督作品「Love/Juice」が 上映されたのだが わたしは、台風4号接近のため ビニールハウスの 台風対策で忙しく 鑑賞できなかったことが悔やまれてならない。 彼女の作品を観ておればもう少しお話が出来たかもしれないと・・・ 6月2日 堀本 逸子さんから「裸の島」撮影当時のスタッフ 松浦さん 勝目さん桑原さん そして 「落書き黒板」の青木先生役の加治さんたちが 佐木島に来られると いう情報が入った。 早速にフェリー発着場にお迎えに行った。 撮影当時20〜30代前半であったであろう人たちも 60代後半〜 70代前半の年齢の人たちである。 そして今は、近代映協を離れそれぞれに独自の活動をされている人たち である。 お話を聴いていると実に当時のことを鮮明に覚えておられることに感服した。 同席した堀本 逸子さんも 子役の母親二人も船頭指南の堀本 茂行さんも 今や忘れていることさえ よーく覚えていらっしゃることにビックリされて おられた。 彼らにとっての「裸の島」は、彼らの青春そのものであったに違いないと 感じた。特に勝目さんは、当時自分たちが寝起きしていた 民家の2階まで 上がって行った。そしてなかなか降りてこない おそらく 40数年前の自分に会ってきたに違いないと 思った。 勝目さんにプロジェクトSのホームページのプリントアウトしたものを お見せした。 「う〜ん」と一言のあと「次郎社長にお話ししてみれば?」のお言葉を頂いた。 たった3時間ほどの滞在ではあったが 当時は、出来なかった島1週のドライブも 楽しんでいただいた。 この時の出会いがこれからどうなっていくのか いいご縁を作っていただいた 堀本さんに感謝しています。 聞くところによると 新藤監督は、瀬戸内海を舞台にしたシナリオをすでに 書き上げたそうだ。 是非とも また佐木島を舞台に映画を撮ってもらいたいと思う。 今回 残念ながら監督と直接お話は出来なかったけれど 息子さん お孫さんからわたしの事を漏れ聞いていただければ 幸いである。 新藤監督の心の中に「裸の島」「佐木島」への熱き思いを感じる素晴らしい 出会いであった。 今後ますますこのご縁を大切にしようと思っている。 「裸の島」をはじめ多くの新藤作品の音楽を担当されておられる 林 光さんとは、6月7日広島で直接お話しすることができた。 以前から「大変人」の佐々木さん山本さん 平野さんの勧めもあり 広島市民教育サークル会議・広島市教職員組合(全教)全広島教職員組合主催の 「教育基礎講座 音楽分科会」に参加させてもらった。 千葉県から参加する平野さん そのお友達と 広島駅で待ち合わせ 昼食を一緒に食べ いざ 会場の尾長小学校体育館へ ドキドキしながら 向かった。 会場に着き山本さんを探してみる「おや?」トレーニングウェアー姿である。 これからあの林 光さんの講義を聴くというのに あの格好は・・・・何だ? そして 12時から会場準備をされると聞いていたが 会場には、 ピアノが1台あるだけで椅子が1脚も見当たらない。 そして 参加者は、次々に舞台横の小部屋に入って行く。 そして 旅装を解き身軽な服装で出てきたのだ。 林 光さんが 会場に到着されたので 佐々木さんと平野さんと一緒に 挨拶に向かった。我が農園産のトマトを手渡し 自己紹介をした。 「ありがとう」と一言言われた。 たったこれだけの会話ではあったが これからが楽しみなご縁を作って もらったと大変人たちに大変感謝している。 以前平野さんから頂いた「対談 新藤 兼人 林 光」の小冊子に書いて あった新藤監督曰く 「これねえ 広島へ行ってねえ びっくりしたの なにかねえ 体育館でねえ すごいんだ。この 走り回って歌を歌ってね それでねえ こんなに元気出していいのかっていうふうに 中にはねえ 子ども連れて 走ったりなんか人がいるわけなんですよ。」 いよいよ講義が始まった。 おや 林さんまでも靴下を脱いでいる。 ドキ ドキ・・・ある程度覚悟は、していたが 目の前の想像以上の光景に わたしは、圧倒されてしまった。一瞬にしてわたしの理性は、わたし自身に バリアーを張って防御体制を敷いた。 佐々木さんも山本さんも平野さんも みなさん 林さんの弾くピアノに 合わせて歌っている。216名の先生 保育士の皆さんは、それはもう 当然 音楽教育を専門的に受けていらっしゃるのだから 歌う歌がさすがに お上手なのだ そして 林さんの声が優しくて 透き通っていて気持ちが 良くなってくる・・・・そのうちに 体育館中に響き渡る美しい旋律と歌声と 共に わたしの目が読めない楽譜を追い 唇がかすかに動きはじめている事に 気づき始めた。ヤバイ!おっと こんなことぐらいで そう簡単に感化 されたのでは・・・人生50年生きてきた意味がないってことになる。(?) 再び バリアーを強化する。 休息を挟み続いて 衝撃の第2部が始まった。リズム・・・ピアノ伴奏に 合わせて カタツムリになったり ザリガニになったり ツバメになったり・・・・ 吾を忘れて踊っている光景に わたしは、完全にパニックに陥ってしまった。 こうして3時間の衝撃の講座は、無事終了した。わたしは、どうにか最後まで 理性を保つことが出来ひと安心したのだが・や?う!参加者の皆さんの お顔を拝見すれば 実に いい顔をされている事に気付いた。 なんと表現すれば良いのだろう解放感いっぱいで 汗の光る笑顔が そこにあった。その日は、たいそう蒸し暑くそれでなくとも 体育館に 200名以上の参加者である しかし 館内の熱気は、閉会後30分しても 冷めることはなかった。 この後も 7時から林さんのピアノで歌う会が行われるという。 わたしは、船の都合で帰らなければならない。それまでの間 平野さんの グループのオバ様たちと食事に出かけた。 みなさんは、もちろん 林 光オタクである。(食事をした所がたまたま 光町であった 光町と記されている箸袋をバックの中に 大事そうにしまい込んでしまうほどの 林 光 オタクなのだ。) 現職の教員の方すでに退職された人みなさんとっても元気な オバ様たちであった。 彼女達との出会いは、ほんの1時間ほどであったが このご縁を作ってくれた 平野さんに感謝せずにはいられない。 あの日 山本さんからのメールに返信していなければ・・・・ 「宿禰島」での佐々木さん 山本さん 平野ご夫妻との出会いが なければ・・・・新藤ウィークにわざわざ 雨の中を 映画を観るために 出かける事もなかったであろう。 新藤社長さんや監督とお話しすることもキャンディーを貰う事も なかったであろう。 音楽教育の会のみなさんのあのパワフルな活動も見ることはなかったであろう。 わたしは、この1年という短い間に プロジェクトSを通じたくさんの 人たちと出会う事が出来た。 山本さんとは 最初の出会いは、インターネットを通じてであったが もっと前から なにか ご縁があったのではないだろうか?? じつは 今から8年前 島に3校あった小学校 幼稚園が 統合され 鷺浦小学校鷺浦幼稚園が開校した。 そして その年の春 長男は、鷺浦幼稚園に入園した。その時の小学校の 先生に 「小田」とおっしゃる美人先生がいらしたのである。 この「小田先生」と大変人佐々木さんとが な・な・な〜んと! 以前 広島の同じ小学校に勤務されていて お互い知り合いであったのだ。 この日 広島で会議のあった小田先生は、わざわざ会場に駆けつけてくれた。 (わたしが 前もって この日の事をメールしておいたので) 佐々木さんと小田先生は、久しぶりの再会を果たした。 縁は異なもの 味なもの ?のようなホントの話 こんなにも面白い世の中って最高に楽しいぜ! |