プロジェクトS 第9章
映画「裸の島」の音楽をリコーダーで吹く   作  平野 容子
 去年の 宿禰島訪問がきっかけとなって実現した「裸の島」ロケ地での 
「裸の島」上映会。 
それぞれのひとがそれぞれの思いで「映画会」を考えたのだと思うが 
わたしは、そこに「裸の島」のあの音楽がどうしてもほしかった。

 作曲した林 光さんが ナマ演奏してくれるのが理想だったけれど 
上映会の性格がいま一つわからなくて 林 光さんにお願いするのが 
ためらわれたしは、ピアノが準備できそうにないとわかってからは 
林 光さんをお招きすることはほとんど諦めた。
ところが 4月14日の東京文化会館での荒川 洋さんのコンサートを
聴きながら 「ピアノがなくても フルートなら 島に持っていける!」
とひらめいた。「裸の島」をフルートとピアノの曲にと 林 光さんが
新たに書き直したその楽譜には 荒川 洋 と書いてある。
その荒川さんが 来てくれないかしら?とさっそく 人を介して
荒川 洋さんに打診してもらった。荒川さんは 乗り気で参加するはず
だったが その後 オーストラリアの仕事が入って参加できなくなった。

 わたしは、音楽演奏抜きの上映会は どうしても納得できなかった。
「どうすればいいのだろう?」と考え続けていたが、8月の最初に行われた
「第48回音楽教育の会・東京大会」の中で 「わたしが リコーダーで吹けば
いいんだ」と突拍子もないことを 思いつくに至った。
 大会は、前夜祭から音楽にあふれていて楽しく その中でわたしも
♪若い月たち♪のピアノでヘラジカを 踊る機会に恵まれた。
角の代わりに大太鼓のバチを持って。大会の中で いろいろな人が歌い舞い 
朗読し 楽器を演奏した。そのことで さらに「する」ことの大切さを
再確認した。
 大会後 「わたしが リコーダーで・・・」の意志が固まってきた。

 しかし すでに8月5日。楽譜はだれに頼めば入手できるのか?
思いついた人に電話してもつかまらず 次の手を打つ。
最終的に8月8日の「原爆小景」のコンサートの会場に 楽譜を持って
きてくれる人がいて やっと入手できた。
 9日 楽譜を見るが五線より上に何本も線が 書いてあってそこに音符が
あるので いちいち数えないとドレミファがわからない。
もちろん ソプラノリコーダーで出せる高さの音ではない。作曲者には
申し訳ないけれど 1オクターブ勝手に下げて 音を出すことにする。
そして 楽譜が読めないので カタカナ書きの自分だけの虎の巻を
手帳に書き付ける。
さらに 音の長さもちゃんと読めないのでビデオで「裸の島」のオープニングを
見ては吹くという 楽譜の読める人には 不可解であろう練習方法で練習した。

 
13日の上映会当日前に寄ると所があって 11日に千葉を離れる。
もちろんリコーダーは、練習不足のまま。
外に出てみて痛感することは、「練習の場所がない」ということ。
福山市鞆ノ浦から船で仙酔島に渡り あまり人の来ない岸壁で練習する。
もちろん まわりは、「裸の島」と同じ瀬戸内の海。その海の波に囲まれて
練習していると、乙羽さんが舟を漕いでいた波が頭に浮かんできて 
わたしも舟を漕いでいるような錯覚に陥る。
そういう中でこの曲を練習していると この曲がとても力強い曲なのだと
感じるようになった。
聴いているだけの時は、憂いを含んだ情緒的な音楽だと感じていた。
波の動きのようにも感じていた。しかし 自分で吹いてみると とは言っても 
ほんの最初の所だけだ。けれど それでも 何と力強いことか。
 乙羽さんの舟を漕ぐ労働を励ましているとか その営みを表しているというか
うまく説明できないけれど 力強さを感じるようになった。
「裸の島」が「緑の島」になってしまった今となっては この音楽の中に
「悠久の時の流れ」さえ感じる。
 「果てしない波を渡るための歌」をオーバーラップさせながら。
林 光さんの曲にわたしは、常日頃から「生命力にあふれた音楽」
「状況を切り開いていく音楽」と言う感じを持っていたが このことでまた
そのことを再認識した。
しかも 「裸の島」は、20代の林 光さんの仕事であることを思って 
その感性のみずみずしさと力強さに遅まきながらいまごろになって 
感嘆するのである。

 13日の映画会の中では、はじまりの黙とう(乙羽さんと殿山さんと
お兄ちゃん役の(田中くんに)を捧げる時に吹かせてもらった。
また、トラブルで上映が中断した時にも吹かせてもらった。映画を観 
映画の音楽を聴いてからは わたしの吹き方が変わった。
息を深く吸って吹くように努めた。だんだん音楽が自分のものになっていくのを感じた。
 映画会のあと、「楽譜を見せてください」と 何人かの方から声を
かけられて、「ああ、わたしのリコーダーでもないよりは よかったんだ」
と思えてやってよかったと嬉しかった。
 実行委員とは名ばかりで、実務は、御畑さんたち島の方々 山本さん 
佐々木さんたちに「おんぶにだっこ」の参加の仕方であったが 
41名もの人たちとつくることができた「裸の島」の映画会は、
貴重な体験になった。

 また 懇親会で個人的に話した 御畑 誠二さんの「佐木島には 
橋は要らない。橋が架かったら島ではなくなる。
ワシは、絶海の孤島の道を選ぶ。」という言葉も忘れられない。
これについては、もっと応援文を書きたい衝動を覚えるが 
ここはその場ではないので割愛する。
 佐木島の玄関・鷺港にも大きくそのスローガンがあって 架橋の方向が
多数派とのこと 油断はならない。

              音楽教育の会 ちばサークル機関紙「ぱぱぱNO9」より転載