プロジェクトS 第12章
「裸の島」との出合い    塚田八代子
 三原港からフェリーに乗り、波にきらめく夕日に歓声をあげていると、
ほどなく「裸の島」が見えてきた。これが、あの映画の舞台か、と身を乗り出して見る。
小さな島。なるほど、夫婦と子ども二人が住むことを設定するには丁度いい大きさだ。
今はみどりに覆われ裸の島とは言いがたい。見るからに平地はない、水はない、
で、住むには過酷な島だ。夫婦が毎日何度も水をもらいに行った佐木島は目と鼻の先。600M。
フェリーでは、あっと言う間だが、あの伝馬船ではひと乗りある。
あれ以上離れていれば毎日何度も水を運ぶという発想は、おそらくリアリティを欠くのだろうと
思われた。実際に宿彌島(裸の島)と佐木島な距離を見てこの映画の背景に触れた感じがした。

 大会を終えた足で我々が向かった裸の島ツァー。
佐木島では「裸の島」の上映会を実行しているみかん農家の御畑さんが出迎えてくださった。
 夜は地魚や貝をダイナミックに焼いてのバーベキュー。
月と星がきれいで「月の船の歌」や「夜の歌」を歌って盛り上がる。
3人のお子さんのお父さんでもある御畑さんは学校事情にも精通されていて、
どの家も鍵など掛けない、のどかな佐木島の学校でも不審者対策をしなければならない
世の事情や、教育論などを大いに語ってくださった。

 翌日も晴れ。昭和34年、ロケ隊の方々や映画音楽担当の林光さんが
ロケ中に泳いだと思われる浜で、私たちも水遊びし、とても気持ち良かった。
水はきれいで波は無く自然にとけ込むことができた。

 御畑さんは浜にスクリーンを貼り、実際の裸の島を見ながら裸の島上映会をしましょう、
と誘ってくださった。前回は雨が降ってしまったという事だったが、
星空のもと、そこに参加できる日がくることを待ちたいを思っている。

         (東京音楽教育の会機関誌「夏の樹」より転載)