プロジェクトS 第19章
佐木島、蜜柑畑の思い出     作 関藤 咲耶 (パリ在住)
 フランスの映画関係者で、新藤監督の「裸の島」を知らない人は、いないと言っていいだろう。
映画ファンが足繁く通うパリのシネマテックで、定期的に上映されている作品のひとつだ。

 映像作家である夫が 「裸の島」に行ってみたいと言い出したのは、ずいぶん前のことである。
そこで、手持ちの地図やガイドで『裸の島」を探したのだが、
手がかりが見つからないまま数年たった。
 そのうち、夫は、仏語字幕つきのDVDを買ってきた。再び、情熱が蘇えったのだ。
今度は、インターネットで探してみた。
 そして 出会ったのが、御畑完治さんのホームページだった。読んでいるうちに、
私が 「裸の島」と思い込んでいた島には「宿禰島」という本名があり、
いちばん近い島は 「佐木島」ということが判明。
 さっそく、御畑さんにメールを送ってみた。

 御畑さんは、見ず知らずの私に たいへん親切なお返事をくださり、
この7月、私たちは 佐木島を訪れた。
数週間前に到着日をお知らせするメールをお送りしていたのだが、着いていなかったようで、
多大なご迷惑をおかけすることになってしまったことを、この場でお詫びしたい。
 突然現れた、フランス人男性と日本人女性の不審なカップルだったが、
御畑さんご一家(おいしい梅ジュースとスイカをごちそうさま!)堀本逸子さん、開本益夫さんは、 
心良く迎えてくださった。

 翌日、開本さんが船を出してくださり、念願の「宿禰島」に上陸。
その後、新藤監督直筆の石碑がお庭にある堀本逸子さんのお宅で、
乙羽さんに櫓漕ぎを指導したという堀本茂行さん、
次男役の少年のお父様の堀本節郎さんにもお目にかかることができた。

 最後の日には、堀本茂行さん宅にお邪魔した。堀本さんは、「裸の島」撮影当時、
「宿禰島」に独りで暮らしていた不思議な男性と交流があったということで、
そのお話をうかがいたかったからだ。
 そして、堀本さんをはじめとした佐木島の人々が、この風変わりな、「世捨て人」だった
男性の生活を陰ながら支え、何気なくいつも気にかけていた、
そんな様子について語ってくださった。
 私は、堀本さんのお話をうかがいながら、「島」のもつ可能性について考えた。

 主人は、フランスのブルターニュ地方の内海に浮かぶ小島出身である。
問題になっているが、島人には、魅力あふれるおもしろい人が多い。
普段は 人影少ないこの島だが、7月 8月のバカンス中は 約10倍の人々が集まってくる。
不思議だ。
時化のときは 連絡船はなくなる、新聞は 1日遅れで届く、急病人が出たらヘリコプターを呼ぶ、
自家用車は、乗り入れ禁止など、島での日常生活には、いろいろな不自由がつきものだ。
 でも、そんな不自由さをものともせずに、いや、反対に そんな「不自由さ」の中でしか培えない
人間同士のつながりを求めて、バカンス客は、やってくるらしい。

 佐木島で、映画「裸の島」の中で夫婦が水を汲みに来るシーンに出てくる道を
歩いていたときのことだ。島の男の子に出会った。
人懐っこい、元気そうな子だ。「こんにちは」と声をかけると、一気にコミュニケーションが始まった。
ランドセルにたて笛が入っていたので、「今日、音楽だったの?」と聞くと、
「今 これ 習ってるんだ。」と屈託ない返事。ランドセルを放り出し、さっそく演奏してくれた。
 蜜柑畑の連なる山並みを背景に、カメラに物怖じせずにのびのびと笛を吹く彼の姿は、
そう簡単に撮れない、いいシーンだった。

 オタク化した、覇気の衰えた子供が蔓延する都会から来た私たちには、新鮮な出会いだった。
こんなステキに個性的な子どもたちが育つ島だもの、過疎化や高齢化なんてなんのその、
無限の可能性に溢れているにちがいない。