プロジェクトS 第24章
      千葉の片隅から「裸の島」を思う    作  千葉の磯八
 みはら映画祭で 「裸の島」制作50周年記念の一環として、佐木島でも映画が上映され、
ロケ地巡りも行われる、との情報を頂いた。そんな矢先、3月11日 大地震が発生した。
我が千葉の美浜区も液状化現象が発生し ガス、電気、水道、下水は ストップした。
あちこちのマンホールが飛び上がり 道路は、ガタガタ、かなりの数の民家も傾いた。
東北の被害は、説明もできない。

 そんな3月20日(日)、今頃は ロケ地巡りをされているのだろうか?磯八は、地震の影響で
少し傾いた我が家でぼんやりと思いを馳せらせていた。


 確か、昭和35年の夏であった。消防団の方が手押しのポンプで小学校の古い教室の屋根に
放水されていた。水源は、学校の片隅の防火用の池であった。何度も放水を繰り返すうちに
小池の水は、底をつきそうになった。消防団員の「これが最後だぞ!」と言う声を覚えている。
多分 雨の日の教室で、音楽の勉強のシーンを撮影されていたのであろうか?

 今頃は、「裸の島」を上映されているのだろうか?あの声を発した消防団員は 今もお元気で
見ておられるのだろうか?佐木島の若い人からお年寄りまで色んな人が観られているのだろう。
年寄りの方は、懐かしい50年前の島の姿を想い出し、藻葉獲りの話などされているに違いない。
農船を曳いた機帆船は、高尾丸であった気がする。 
田中さんは、見ておられるのであろうか?映画に出演された主役も、島の小学校から選ばれて
出演された子役の方も亡くなられたと聞く。
映画の製作に協力し関係された島の人々も多くの方々がすでに他界されたらしい。
映画の内容とは別に、その人達への思いや懐かしさで、感慨に耽っておられるのでは?

 現在、20歳の人達も映画では、50年前の島の姿を観ている。その頃の島の港は、農船で
満たされていた。今は、1艘の農船もなく全て 遊漁船に変わってしまった。
島の道路も一変し、都会並みの舗装道路が島を一周している。
この文化の変遷を どの様に感じているのだろうか?

 映画に出演された正紀君のご両親、そして伸二君のお兄さんは、何を感じられながら
ご覧になられたのであろうか?ご両親は、悲しみの中にも誇りを感じられたのでは、
お母さんは、映画の中の正紀君を抱きしめたくて、涙されていたのでは、お父さんは、
ジッと我慢をされていたのではなかろうか?
田中さんも 伸二さんやご両親のことを思い出され複雑なお気持ちであったのでは?

 映画に協力された人達は、懐かしさや喜びで、苦労話の1つもしたかったのでは?
いや 誇りを持たれて満足されていたのでは?本当のことは、何も判らない。
できることなら その人達のお話を聞きたいものである。
磯八など勝手な想像など及ぶべくもないし 許されないが、尊敬の念で推測してしまったことを
お許し頂きたい。 

 映画祭は、こんな大災害の時期だからこそ予定の通り実施された、とお聞きした。
何とも嬉しい話で、元気付けられた。東北の被災者も粘って力強く復興して下さるだろう。

 新藤監督からのビデオレターのCDを拝見させて頂いた。

 とても感想など記せる立場ではないが、何とも穏やかな朴訥な口調で判り易く話して頂いた。
関係者に対する気配りや思いやり、そして島の人達の暖かさに感謝され、心打たれるものを
感じた。島の静けさや自然の山、川 そして蒼い海を思い出されて、飛んで行きたいだろう
気持ちが伝わってきた。ミカンの話をされた時、ご家族がチャチを入れられたが、何とも
微笑ましく、暖かさとユーモアを感じた。人間としての魅力も感じさせられ尊敬させられた。
とても 99歳には、見えなかった。何時までも長生きして 新しい映画を見せて欲しい。

 更に嬉しいニュースが 飛び込んできた。

 「原爆の子」「裸の島」などが 監督の99歳の誕生日である4月22日から ニューヨーク(NY)
で上映されると言う。USAとしては 日本の真珠湾攻撃への怒りもあるだろう、日本には
原爆投下への恨みがある。戦争のことはよく判らないが、敗戦国として堂々と映画で
原爆の是非を問うのは 意義のあること、と思う。こんな時期に、核の存在や発電の在り方にも
一石を投じるに違いない。

 何より「裸の島」が共産主義のモスクワで受賞され、民主主義のNYで上映されるのは、
嬉しさを通り越して愉快にすら感じる。文化の違いや政治思想の違いなど 相互になかなか
理解しがたい気がする。そんなものを乗り越えて生きることへの思いは、同じなのであろう。
それも 映画が製作されて50年もの年月が流れている。この50年間は、科学の進歩も大きく
生活様式も文化も変えてしまった。思想が違っても 時代が変わっても 人間の生きる基本は、
同じなのだろう。そんな 思想やら歳月すら超越して 「裸の島」は、世界中の人に感動を
与えるに違いない。「裸の島」は、瀬戸内のヘソではなく 地球のヘソになって欲しいものである。

 「裸の島」の舞台となった佐木島は、国際的になった。映画作製に協力された人は勿論、
島で生活されている人、そして 島で育った人達も 誇りを感じられるに違いない。

 そんな佐木島にも 過疎化の波が押し寄せている。島を出て行った若者も 生きると言う
大義名文のもとに 右肩上がりの社会でそれなりに働いてきた。いずれの理由があるにしても
島を離れたことは 過疎化の一因になった。磯八もその一人である。それでも定年後、
里帰りできる人は 羨ましい。更に 夫と共に里帰りされ、島を活性化するため
ボランティアガイドをされている人もおられるとか 頭が下がる思いである。そんな人には 
長生きして欲しいと祈りたい。

 もう一度、佐木島に帰り 映画「裸の島」や宿弥島を見てみたい。磯八の先祖が佐木島の
住人であったこと、一時的でも島で育てられたこと、それだけでも 誇りに思い 
生きて行きたい。
遠くから勝手な思いで、勝手なことを書いてしまったことをお許し頂きたい。
美しい佐木島 遊漁船の港
立派な道路 懐かしい寺山