プロジェクトS 第27章
風景のちから、佐木島の思い出と映画「裸の島」(下)
そして 3.11の東日本大震災
作 横浜の小屋住人
 映画の内容を見て、多分他の皆さんと同じように私も 直ぐ考えを巡らせたのは、アルベール・カミュの書いた
「シジフォスの神話」です。

 山頂まで大きな岩を運びあげる重労働を神に課せられたシジフォスだが、運び上げた途端 岩は重みで谷底へ
転げ落ちる、また運び上げる、”不条理”を書いた 小冊子ですが、トヨ演じる乙羽信子が 華奢な肩の皮をむいて
担ぎ上げた肥担桶(こえたご)の水がしっかり 麦や芋に留まることもなく、すっと砂に吸われてゆく、正に似ています。
また直ぐ足してやらねばなりません。息子を亡くした悲しみも芋は待ってくれない、それでも希望を持って働いて
生きてゆく、という人の生き方に思いが至ります。何時までも泣いては居られない、しかし 新藤映画は ここで
特に「神」を取り上げてはいません、生身の人間の目の前の現実です。

 新藤兼人監督は、近づきつつ有る高度経済成長時代という激しい河の流れを既に体で感じ 分析して理解して
いたのでしょう、この映画の直後辺りからに日本中が 奔走して走り始め、そこには合理、理性、論理、経済、採算、
効率などという言葉が 氾濫してゆきましたが、その成れの果てが平成時代であり、リーマンショックであり、
失われた20年になる、と監督は警鐘を鳴らしたのかもしれません。

 乙羽信子が あの美貌と演技、そして恵まれた環境の俳優活動を飛び出してまでして 決して今風のイケメンでもない
初老の貧乏監督に惚れ込んだのか、やはり 新藤兼人の持っている独特の風景の野性と監督としての異才を感じ取り
鳥取米子の名峰大山を 幼い時分に見てきたであろう 乙羽信子自身の野の感性が この監督となら共に何か
新しいものを残せると確信させたのではなかろうか、と思うと、乙羽信子も風景に育てられた人であり優れた芸術家を
発見する目を持たされた、ということになる、乙羽信子は、新藤兼人を取り込んで明らかに自分の持つ原風景を
監督に重ねたのだと思う。そうでなければ、宿禰島のあの真夏の下の急坂は 登れなかったろうとおもいます。

 同じように、新藤監督の撮影に進んで協力した島の人たち、特に堀本さんご一家は、今回の映画撮影は ただ事
ではない、単なる有名人歓迎協力ではないと特別の感触を得て、この売れそうにもない映画の撮影協力へ積極的に
参加し、ある種の運動に加わったという感覚ではなかったろうか。

 今度の東北大震災で、報道の映像を見ながら思うことは、営々として築き、受け継いできた街や村も含めて、人々の
努力と苦労が加わった 海 山 川の風景が一変した事です。人々の原風景が断ち切られたのです。簡単に言える
ことではないし、まるでその資格はないけれど、映画「裸の島」を見ると、あの宿禰島の乾いた「土」と悲しみの時間も
与えない日々の過酷な労働が思い起こされる。何百年も掛けて築いてきた街と文化に注いできた人間の努力が
一瞬にして波に吸われ崩壊し流され、累々と重なる瓦礫に人の思いが 映像に重なる。さらには 目に見えない
放射線という人知では制御出来ない 汚染をばらまき、あたかも日本を「裸の島」にしたのではないか と思います。

 史上最大の大災害の規模の大きさは、一小島の小さな物語には比ぶるべくもありませんが、残酷で心が
潰れそうな時も、水の重さに震える 乙羽信子の細足が小幅ながらでも先への希望へとつながるように思えます。
小さな、どちらかと言えば そう楽しくない映画ではあると思いますが、被災地の方が観られれば 何か積極的な面を
感じて頂けるのではないか、茫然自失の状態から這い上がる切っ掛けにならないだろうか、と思います。

 少しこじつけがましい理屈ですが、最近この映画を観直した時、率直にそう思いました。同じように美しい、
海と海岸と入江、そして後ろには深い高い山脈を持つ東北の人たちは きっと瀬戸内の景観にもひとりひとりの
自分の美しい三陸の風景を重ねて、言葉はなくとも黙って一コマに希望を見出してくれるのではないか、
と思います。しかし 重い水を運ぶ人の眩しいほどの尊さとその労働の過酷さには、傍観者の私には、言葉が有りません。

                             (完)