プロジェクトS 第28章
耕して天に至る           作 千葉の磯八
 2011年8月、BSTVで再度、映画「裸の島」を見ることができた。50年前に初めて佐木島で上映された時は、
何も感じなくて、8年前に2度目を見た時は、感動した。今回は、余裕を持って懐かしい佐木島の姿や釣りを楽しんだこと、
そして 瀬戸内の美しい島々や尾道の街並みなども思い出しながら楽しく観ることができた。

 瀬戸内の美しい島並みの姿は、思ったよりも急斜面が多く、山は、可能な限り耕されている。映画で見る佐木島の
大平山、狗山は、ゴツゴツした男性的な山である。その山の中腹から段々畑が連なり、美しい白浜へとつながっている。
確か、長浜と呼んだ気がする。撮影当時、8月初旬だったろうか?寺山の上空をヘリコプターが飛び、
空中撮影されていたことも思い出した。

 佐木島の地形は、山の斜面がそのまま海に沈んで行く感じである。従って海岸線は、ほとんどが岩場であり、メバルや
ホゴ(カサゴ)アブラメ(アイナメ)そして タコの絶好の棲みかになっている。岩場と岩場の間は 砂浜になっており、
比較的長いので長浜と呼ばれたのであろう。島全体が花崗岩でできており砂質で綺麗な白浜になっている。
当時、その長浜には、真珠の養殖場があり、筏の上で夜釣りをするとチヌやアナゴ そして 鯛も釣れた。その近くには、
島で獲れたサツマイモを集荷し、澱粉を製造する小さな工場があった。そこから出る排水には、チヌが集まってきて
よく釣れた。

寺山から長浜を望む(S34ごろ) 右端下に澱粉工場
 映画の場面で、水をやれどもやれども海綿のように水を吸い込んでいく砂地、そんな場面を見ていると、
50年ほども前に 長浜に夜釣りに行ったのを鮮明に思い出していた。近道をするために、お寺の境内から薄暗い墓地を
遡り、寺山の中腹を越えて、段々畑を駆け下り、転げ落ちるように飛んで行った。急斜面の段々畑には、サツマイモが
植えてあり、道などはないが、畝を足場にして駆け下りた。水分を含まない土壌に足がめり込み、サツマイモに、いや 
お百姓さんにも大変ご迷惑をお掛けした。映画で水を幾らでも吸い込む畑は、あの足がめり込むイモ畑と同じ砂質で、
懐かしい島の土壌を思い出させてくれた。夜釣りの帰りは、怖い墓地を避けて、遠回りしてでも村の峠道を利用した。

 ヘリからの撮影が もう少し早い初夏に行われたら、白い除虫菊が咲き誇り、小麦色に熟れた麦や、タバコの葉の緑など
色とりどりの段々畑、濃緑の山、紺碧の空、白い砂浜、そして 蒼い海、まるで天国のような風景であろう。などと瞬間的に
昔の懐かしい瀬戸内の風景を思い起こしていた。

因島から佐木島を眺める
 可能な限り耕された島の段々畑、農作物に降り注ぐ太陽、自然に負けることなく水を撒き続ける家族の姿、一歩一歩、
単調な仕事の繰り返しが生き方の基本なのだ。じりじりと太陽に照りつけられる真夏を中心に、段々畑が
撮影された意味が、ようやく理解できた。

 真夏にも関わらず、水汲み場面に出てくる夜明け前の島の風景、2〜3の街灯が燈り、朝もやの中に澄み切った空気、
何とも人間らしい生活を感じとれた。照りつける太陽の下で滴り落ちる汗にも、海のそよ風に吹かれて何とも言えぬ
清々しさを感じさせてくれた。

 あれから50年、都市には、巨大なビルが乱立し、空調の排風やアスファルトの照り返しに息苦しく感じる街並み。
温暖化の影響で年々上昇する気温を気にしながらの都会の生活。放射能汚染に怯えながら、野菜や果物、魚 いや 
米さえも検査しなければならない、子供の遊ぶグランドの砂の汚染までも心配しなければならない社会。

 人間の何かが環境を、変えてしまったのではなかろうか?自然災害、事故、想定外、風評等の言葉で表現されて
いいのであろうか?このまま地球を人間の 我が儘という欲望で汚染し続けていいのであろうか?
映画のシナリオからは、勿論 50年前の風景や食物からも、生き方の基本やエネルギーのあり方を考えさせられた気が
してならない。

 映画の初めに”耕して天に至る””乾いた土”と 字幕が現れた。映画の背景なのであろう。

 御畑農園のホームページの投稿に”耕して天に至る”とは 誰が言った表現であろうか?との質問が
投げかけられていた。これは、中国人に違いないと思い インターネットで調べてみた。

 パソコンで「耕して天に至る」を見て驚いた。あるある 膨大な情報と写真集が記載されていた。

 日本各地の段々畑や棚田の見事な写真が紹介されている。山口、長野、能登の輪島、愛媛、そして 瀬戸内の島々、
何とも見事な景観である。

 山の頂上まで耕し、大変な努力で開拓された段々畑、勿論 農作物を栽培し、生きて行くために農民が 時間をかけて
造り上げたものである。しかし 紹介されているのは 殆どが景観を楽しんだり、観光地としてのPR、そして 
如何に段々畑を保存していくか、の提案である。農水省の農村環境整備センターが 「日本の棚田百選」を認定している
との記事まであった。農水省が!!!観光のことより農業のことを真剣に考えて欲しい気もしたが。確かに美しいことには
変わりはないので深くは考えまい。本来の目的は、時代と共に変遷していくのであろう。

 語源についても色々紹介されていた。

 一つ目は、李鴻章(1823〜1901)が 「耕して天に至る。以って 貧なるを知るべし」と 段々畑を形容したと。李鴻章は、
下関条約の調印に来た中国の政治家である。

 二つ目は、孫文(1866〜1925)が 中国の山峡下りをした時に、山の頂まで耕されている畑を見ながら表現した
言葉であると。孫文も日本で勉強したことのある中国の革命家・政治家である。そして 中国の名士 チャリー宋の美人
三姉妹の二女・宋慶齢と結婚した人でもある。どちらの説でもよいが、日本と関係の深い人の表現であるのは
嬉しい気がした。

 中国の人達は、この様に表現が非常に巧く、素晴らしい漢詩を楽しませてくれる。自国語にプライドを持っており、
横文字をそのまま使うことは、殆どない。現在でも、コンピューターのことを電脳と呼んでいるのも、何とも愉快である。
横文字を そのまま片仮名にして受け入れてしまう日本人には、少し参考にして欲しい気もするのだが?

 ”耕して天に至る”は、映画の背景と思ったが、本来の意味とは別に もっともっと深い意味があるのであろうか?
天とは、二人とかの意味とか、トヨと千太の生き方の原点でもあろうか?いやいやもっと深い、監督と同志との
意味があるので」あろうか?誰か教えて欲しいものである。

 裸の島の風景を見ていると、無性に段々畑を見たくなった。千葉にも棚田は、ある。棚田も耕して天に至って
いるのでは?棚田を借りている友達が、秋に米ができたと届けてくれたことがある。その奥様は、棚田の日本画を
描かれていた。場所などお聞きして8月末 見物に出かけた。

友達の奥さんの絵                 
棚田100選の一つ 千葉の大山千枚田