プロジェクトS 第4章
絵日記風 ひと夏のドラマ   2002.8.4.「裸の島」を訪ねて  作 佐々木 信江

 
 今 しみじみと思い出す  ひと夏のあのドラマ。
実現した時は、なんだかボーとしたり興奮したりで
 念願かなった感慨をかみしめる

ゆとりは なかったのだろう。
半年も経った今 新しい年を迎えてどうやら発酵してきたあの日の我が歴史的出来事。

 ずっと以前 広島で「裸の島」を 新藤兼人監督と作曲家 林 光氏の対談付で 
上映するという企画が ヒョウタンから駒で実現した時から新藤監督の生家探索と
「裸の島」への旅が私の胸の中で
 フツフツプクプクと 脹らみつつあった。
1990年の夏だったか秋だったか東京の大衆的居酒屋でたまたま 隣に座っていた
ほろ酔い状態の作曲家 林 光氏(名曲「裸の島」の作曲家ですぞ!)に映画の話題の
続きで何となく持ちかけた話から林 光氏 ”ぼくが新藤さんに話してみましょうか?”で 
トントンと決まってしまったのだ。

 
 1960年は 我が人生の冬の時代、19才。ある時 労働組合の主宰で上映された 
映画「裸の島」をみた。内容を鮮明に 覚えている訳でもないのに妙に残像が濃い。
貧しさに涙したような気がする。
でもその音楽には 強く引きつけられたらしく(そりゃそうでしょう セリフが

無いんだから)最初のフレーズだけを ずっと忘れていなかった。・・・・・・・・・・・
続きはほとんど記憶なし。

 元来 映画というものが好きで 小 中学生の頃は 禁止されていても友人と
コッソリ(母親のショールを頭からかぶり)家の真裏にある 「偕楽座」へ出没したものだ。
「野菊の如き君なりき」 監督は、木下恵介だったか?
笠 智衆 杉村春子が あまりに上手いので 民さん役の新人女優の下手が
目立ったけど ずっと泣き通しだったことも 懐かしい思い出。原作は、伊藤左千夫の
「野菊の墓」。話が横道にそれちまった。まだまだそれたいところだけど 
留めがなくなるから 本筋にもどします。
 
 さて 広島での「裸の島」対談付上映は、大ヒット!その後 東京バージョンとして 
二度開催された。何しろ お二人共 上等のユーモリスト。撮影中の逸話や芸術創造の
汲めども枯れない井戸のように話が 次から次へ広がり笑いが 絶えなかった。
クライマックスは、林 光氏のピアノで 「裸の島」の演奏とくれば”至福”と言わずして
何といおうか!新藤監督曰く ”これは渇いた心に水をやる映画 ぼくも渇いたら水を
やりして これからも映画を作る
”と。

 新藤兼人 90才 記念バースデーコンサート(恐れ多くも対談の相手を 
おおせつかったのである  林 光さんのシナリオがあったからできた)の
打ち上げの会場で少しアルコールの入った 高揚した気分でつい マイクを持って
胸のうちを語ってしまった。(ちなみに新藤監督はお酒を飲まない人)
 平野容子は、紀行文の中でや々品なく ”裸の島ツアーを組まにゃあいけんね”と
私が 言ったと書いているが ここで訂正。正しくは ”裸の島ツアーを近いうちに
どうしても実現させたいと思っているんです。いっしょに行きたい方はいませんか?
”と 
こう呼びかけたら たった一人 ”ハイ ハイ 行く行く!”と派手に手をあげたのが
平野容子である。それにしてもあの時 他に一人も同調者がいなかったのが 
今でも不思議。ひょっとしたら 佐々木と山本の 奇人じゃあ・・・・・と みんなに
敬遠されたか!さて ここからいよいよ やっと 島のツアーの話にはいります。

 どうにかこうにか 8月4日という日を いっぱいのスケジュールからひねり出し 
決行。私の計画では (東京でマイクを持つ以前)まあ とりあえず一人で 
下見のつもりで訪ね その後 仲間を誘ってくらいに考えていたが 我が友人中の友人 
山本純子は、そこはそれ 出会い系サイトとやらの 21世紀のハイテク技術を駆使して
このツアーの運河の扉は ここに開かれたのである。扉の向こうにいたのは、
みかん作果(家)で 「裸の島」オタクの 御畑完治さん その人であった。あまりの
スピード情報に私は 口をポカンと開けたまま 事は進んでいったのである。
(私は ローテク人間・・・何のことはない頭が悪くて 機械に超弱・・・)

 平野容子のつれあいには 面識がなく したがって ことばを交わすのは始めて。
でも 昔からの知人のようで 少し”さらば草原”にさしかかった頭髪だが 気さくで
元気な青年教師?といった感じで よかった 良かった。(酒とも大の仲良し)
 三原港から 佐木島ー鷺港へ向けてフェリーに乗り込む。定年退職したフェリー おっと 
フリーの身でもあり 気分ワクワク。定刻に船は スイ−と岸壁(という言うは古いか?)
を 離れた数分後 ”あれ あの島 あれだあれだ!あれが宿祢島じゃない?
そうよそうよ” と もう四人は 船室に留まってはおられない。船のデッキの欄干に
ベッタリ体を寄せて 次第次第に近づいてくる「島」に 胸の高鳴りを押えられない。

 
 美しい 実に美しい 大きさといい シルエットといい 環境といい ほんとに個性的
孤独的な たたずまいなのに あたたかい。新藤監督の美眼に射止められるはずだ。
 あっ 忘れた!長袖。この炎天下だもん 半袖じゃ○○ハムになる・・・・借りれるかしら?

 
 あーっ 到着。鷺港。
港っていいなあ 小さい程 趣がある。すぐ岸壁に漁協(農協の間違い 御畑訂正)
倉庫があって (と記憶しているが)それに沿って 四人は 歩いて行く。
ウオ−ッ!感動的出会い。握手(したかな?)。初対面で緊張する
ー みかんづくり
オーソリティーの御畑完治さんも 少々緊張の面持ち の笑顔で迎えて下さった。
他に いとこさんと弟さんも。 それぞれボートを出したり 漁船を出したり援助して下さる
ことになっている。御畑さんの首に巻かれた白いタオルが プロフェッショナル風だ。
そして 長靴 ウェストのがんじょうそうなベルトについた 文明的な道具は何?
 早速に恐縮しつつ 長袖のシャツをお借りしたい旨を伝えると サーッと どこからか
ブルーの木綿の肌ざわりよい男物のシャツが手元に。この自然な対応は まるで 
私が借りる事を予約していたみたい!感激してしまった 出足がいい。

 こうして書いていると次々に細かいことを思い出して ゴチャゴチャと 稚拙な筆が
動いて仕方ない 許し給え。

 私たちは、まず強そうな弟さんの漁船風モーターボートに乗り 今度は 浅瀬に
乗り入れる為にいとこさん(名前を忘れてすいませんね・気持ちのやさしそうな)の 
上陸艇に移り 目と鼻の先にある あの 「裸の島」が撮影された 乙羽・殿山夫婦と
二人の少年が暮らしたあの島へ 小さな上陸艇が巻き上げるすさまじい 波しぶきを
浴びながら 劇的に上陸した。


 潮の匂いが素敵だ どんなにヤブが深くても 私たちは 御畑さんの指示通り 
山行の出で立ちなのだからたじろがない。まして 二人の頼もしい”若い”男性が鎌や斧で
バッサ バッサと巨大なわらびの親やシダ類を 切り開いて道を つけて水先案内を
して下るのだから楽しくて仕方ない。20分程で ”ここ ここ”と 件の場所に立った
のである。なんといい木陰なんだろう 涼しい。影をつくっている大木は、はぜの木。
この島(宿祢島)の頂上の中央に陥没した部分がある。その深さ2〜3mもあろうか 
周囲20mあるかないか(この辺あいまい) ”ここが四人家族の小屋があったところよ 
いちぢくの木も失くなってるなあ
”と 会話が聞こえる。ふ〜ん?あの住まい 
こんなにへっこんでたっけ?と 小さくつぶやく。周囲の樹木が育ったのでよけい低く
見えるのか どうも何辺も映画を 見ていてもまだ甘いようだ。何か錯覚しているぞ! 
でもどうして いちぢくの木が亡びるの?ドラムカンのお風呂から見た風景は
 どっちの方向? その時は あまりの心地よさに興奮していたのか 
またまたボーっとしいていたのか 冷静さを失っていたのだろう。話題にするのも
忘れてしまって・・・・・・・

 2時間も居た ということだけど いつまでも居たいね と四人は 40年前と「今」を 
行ったり来たりして感慨ひとしおだった。

 昼食は 佐木島でただ一軒の食堂という 「福ちゃん」で大酒宴    
撮影当時 宿舎になったこの島には 飲屋がなかったので 肝硬変で 
危なかった殿山泰司の病気が すっかり良くなったという話は 有名だ。
そこへ 天馬船の船長 堀本さん現る。映画の中で殿山 乙羽さんが しょっ中 
天馬船を漕いだけど その漕ぎ方を指導した人だ。小がらできゃしゃ。でも 
さすがだなあ美しい褐色の腕が 海で生きた歴史を語っている。林 光氏のことを 
あのひとは えらい人ですよと見抜くというところが人並みじゃない。
 しかし 男性たちは 堀本さんをのぞいて 飲むは 飲むは 「福ちゃん」のビールの
ストックが底をついたのではないかしら?でも ケロリとして 御畑さんは 
乙羽さんが泊まった宿屋・その前の植え込みに置かれた記念碑・映画のシーンにあった
地主の家(ほぼそのままだった)・小学校 と 目いっぱいの「裸の島」巡りは 
とてもとても充実した ツアーとなったのである。

 「福ちゃん」で飲んで話して盛り上がっているうちに 御畑さんの目が 
ギラギラして来た。


 それは何か 2003年の8月13日 港の広場で「裸の島」を 上映したい 
全国から里帰りする島人たちにみせたい という想いだったのだ。すばらしいでは
ありませんか!
 何とか協力したいと 四人は、即座に団結した。そして夢は ふくらむふくらむこと。
新藤監督と林 光氏を招くことはできないか 実現すればすごいことだ。対談としては 
4回目になるけれど 何と言っても 撮影された島での対談であり 上映であるなんてことは
とてつもなく豪華でドラマティック。新しい話がきけるにちがいない。小学校には 
程よいホールがあってピアノも座っていたではないか。あの名曲「裸の島」を 
島の人たちの心に 届けることができたら 特に こども達にも届けることができたら 
おそらくこの作品は 佐木島にとって 大切な 大切な文化財となって残るでしょう。

 「ふくろう」という 新しい映画がクランクアップした今 新藤監督 益々元気で 
その 「ふくろう」はとてもいい と 音楽担当の林 光さんから情報が入った。

 8月13日 8月13日 すぐ来る! 港でくり広げられる映画会を 想像すると 
胸が高鳴るではありませんか。

     
               
 *注* 挿絵も 佐々木さんが描いたものです。