5 系列の企業(渋川一族)は連携したか。
 

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渋川一族の物語
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  渋川一族は,西国へ向けて発進した。九州探題は,一族が総力で取り組んだ要職であった。

  その一方で,渋川一族の本流は,京都に本拠を置いて,幕府との出仕関係を維持していた。

  応仁文明の乱後には,一族本流の権益である加賀国の所領を,備後国渋川氏が管理した。

  当時の交通通信体系のもとで,散在した広域的資産を実効的に管理することは困難を伴う。

  広域的な支配になじまない国人領主制は,やがて,遠国の資産を,放棄する運命にあった。




@ 所 領 の 管 理




支店経済は交通通信網により本店と連結する。
(広島空港)
広島空港

  渋川氏には,九州探題としての責務に加えて,全国の所領を管理する責務があった。

  それらの所領の管理は,一族の連携により,行われていたのだろうか。

  現地では,一族による支配のほか,板倉氏・吉見氏など,被官の役割が注目される。

  渋川義行は九州探題を退任(1370)した後,備後国から京都に帰っている。

  義行の子満頼も,九州で少弐氏に敗れた後,京都に帰り,そこで没している。(1446)
 

  これらからみて,京都には,渋川氏本流の私邸があった。

  従って,ある時期までは,渋川一族の所領管理も京都で行われていた。

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A 武 蔵 国 蕨 郷




和樂備神社(埼玉県蕨市)
和樂備神社(蕨市)

  渋川直頼は,渋川義行に,武蔵国の蕨(わらび)郷を譲った。(1352

  以来,蕨郷は渋川氏の知行するところであったという。

  そして蕨城は,武蔵守渋川義行により築かれたと伝承されている。


  実は,この時期に渋川義行は備後国に滞在していたのである。

  従って,蕨郷
の現地支配は,被官によって行われていたのではなかったか。


  蕨城址の碑が,和樂備神社に隣接する蕨市民会館の前,蕨城址公園にある。

  和樂備神社内の社池は,蕨城の濠堀の面影を残すものともいわれる。

  そのほかには,蕨
城の遺構らしきものは確認できない。

  その後,渋川義鏡やその被官が,再び東国で活動する,渋川一族のUターン現象があった。

  即ち,享徳の乱(1457)のころ,渋川義鏡が幕府から東国に派遣され,渋川一族が蕨城を守っていたといわれる。

  この時期にも,まだ渋川氏の私邸が京都にあり,彼らはそこから東へ向かったとみられる。

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B 加 賀 国 野 代 村




 木場潟から、小松ドーム方面を望む。
 対岸左に蓮台寺村があった。(小松市)

木場潟(小松市)

  渋川氏の所領として,加賀国の野代村・蓮台寺村があった。(1352)

  これらは,1517年頃には、渋川氏が知行する京都大光明寺領でもあった。

  備後国の渋川義陸,大坂石山本願寺の協力を得て,その管理を図ろうとした。(1536〜1549)

  大坂石山本願寺へは、渋川領の備後国山南郷の浄土真宗光照寺が取り次いだ。

  この時期に,渋川一族の所領管理は,備後国の渋川義陸が担っていた。

  渋川義陸,所領の維持に関して,幕府の権威に期待していない。

  その状況では,渋川一族が京都に私邸を持つ必要性も失われる

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C 備後国御調別宮




  渋川満頼の弟満行は,九州で備後国の郡名である「御調(みつぎ)」を号した。満行の子の満直も,九州で「御調三郎」を号した。

 
彼らは備後国から赴任した可能性が強い。備後国では,その後しばらく,渋川氏の活動が確認できない。

 備後国では所領の管理が困難になり,九州探題の渋川満直は、嘆いて幕府に善処を申し入れた。(1430)


  さて,京都の渋川氏は,永正(1504)以前に幕府に出仕しなくなっている。この時期に,渋川氏の本流は京都を退去したとみられる。

 その時期に,渋川義陸の活動が備後国でみられるようになり,御調別宮に小童城を築いた。(1526)

 また,備後国の渋川義陸は,大坂石山本願寺の協力を得て,渋川氏の本流が管理すべき加賀国野代村の所領を管理している。

  これらの状況から,渋川義陸は,応仁の乱の終末期に京都を退去して御調別宮へ下った渋川氏本流の可能性を排除できない。

 備後国御調別宮の小童城は急峻な山城であり,今は雑木が深く遮り、道も消え失せており,ハイキング向な史跡ではない。

 小童城には,独立峰の頂上に造成地があり, さらに山腹にも点々と多数の造成地がある。

 山上の谷に,小さな
池跡湿地がある。 石塔 (宝篋印塔)は,渋川義陸・義正・義満の供養塔と伝えられる。

 小童城は,渋川義陸,義正,義満と続く三代で廃城となり,備後国の渋川氏は活動を停止したとされる。(1573)


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備後国小童城の鳥かん図
<= 石塔 = 池跡 = 造成地>
備後国小童山城址
並立石塔(池跡の左手上方)

石塔2
(西塔から東塔を望む)
単立石塔池跡の右手上方)

石塔1
(東方を望む)




















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 系 列 (おわり)