「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2015年10月19日
「苦しみの実り」

*≪第一日課≫イザヤ53:4-12(旧1149)*≪今日の聖句≫ イザヤ53:11 

彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。

*「彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する」と、苦しむ神のしもべの歌をイザヤは歌う。苦しみは人間の普遍的な宿命であるが、他者の苦しみを自ら負うことを通して苦しみの実りを見て知ると預言者が歌うことをとおして、苦しみが神の栄光の恵みとなることが真理の歌となる。人の苦しみはどのように乗り越えられるのかについて、預言者は天の啓示を受けて、神ご自身がそのしもべを通して苦しみを代わりに負ってくださることを苦しみへの勝利として歌う。

*神が負ってくださる苦しみとは現実的に何なのか? もしイエス・キリストがおられなかったらそれはあまりにも漠然とした絵空事でしかなかったが、イエス・キリストの受難と十字架をとおしてそれは現実的なものとなった。「神は我らと共におられる」の極みが代理の苦しみである。イエス・キリストの十字架において神は我らの味方として人と共なる方であることを啓示された。これからはわたしたちが苦しみに遭うときすぐに、神がまず苦しみを代わりに負ってくださっていることを思い起こして、この苦しみは我らを救いに導くものであり、神の栄光の歌であることを覚えよう。

*ボンヘッファーが「奉仕」の黙想において、「重荷を負うこと」を奉仕の一つに挙げ、それは他者の自由〜他者の自由とは罪の自由のことである〜を甘受し、その苦しみを引き受けることだと言う。その「奉仕」はキリストが範を示して、弟子たちを神の国に導くための鍵とされたものである。人の苦しみはキリストが分かちあってくださったことによって生命のための実りとなった。他者の自由とは、様々な行き違い、思い込みを甘受すること。キリストにおいて苦難を忍耐することを喜びとしよう。

◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
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