
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
|
「霊と言葉」
:≪福音書日課≫ヨハネ6:56-69(176)*≪今日の聖句≫ ヨハネ6:63
命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
*言葉は本源的に霊であった。霊と霊の交流手段として起こった。霊は本来、天と地との交流手段であった。この世のものとも思われぬ、得も言われぬ出来事に遭遇した人間は何とかそれを表現しようとして呻くうちに、インスピレーション=霊が天から下るような経験をした。そうして言葉が成った。
*だから霊と言葉は不分不離一体の間柄にある。その両者が近代精神において理性万能主義・功利主義・商業主義によって、そして今日、最終的な資本主義段階のグローバルな情報社会において、言葉は爆発的に氾濫し、言葉はいのちの言葉である本来性からはるか離反し、傷つけられ、霊と一体であった言葉から成り立った機構全体が急性および慢性炎症的症状を呈し、世界は病気になった。
*言葉の霊的本源性を再び取り戻すことが人間の健康回復=救いに至る唯一の道であり、言葉が霊の交わりを回復しなければならない。わたしたちが言葉を使うとき、その言葉は人といういのちの家を建てるものかどうかを吟味しなければならない。そのためには言葉よりも霊が優先されなければならない。感動や感謝、賛美や祝福の心から発語された言葉でなければ言葉はむなしい。
*イエス・キリストの言葉こそ、いのちの霊、天からのパンである。キリストの言葉は人に打ち勝つ論争の言葉ではない。霊から出た、ひたすら救いを指し示すものとしての言葉である。そこで言葉は二次的派生的である。霊は救いを指し示す:時が良くても悪くても、人間が聞こうが聞くまいが、弟子たちの多くが去って行っても、イエスは霊において救いの言葉を語りかける。その熱情(=憐れみ)こそイエスの霊である。 |
|
|
◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。
月曜日:≪第一日課≫、火曜日:≪賛美頌≫、水曜日:≪ニケヤ信条解説≫、木曜日:
≪第二日課≫、金曜日:≪福音書日課≫、
日曜日:≪主日説教≫(三原教会・福山教会ホームページhttp://www.mcat.ne.jp/~
miharach/ & フェイスブック「谷川卓三)でお伝えしています。
★日刊「メールマガジン版」(tanigawaster@gmail.comまでお申込みください)、フェ
イスブック(谷川卓三)、「ホームページ」(「三原教会or福山教会」)/フェイスブッ
ク(谷川卓三)で毎日更新されています。
★印刷版の「郵送サービス」(無料)で受け付けています。宛先をご連絡ください。

|