「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2015年06月18日
「魂の故郷」

:≪第二日課≫2コリント5:6-10,14-17(330)*≪今日の聖句≫2コリント 5:9

 だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。

 
@肉体に対する考えは初代教会の中にもいろいろあって、非常に微妙である。肉にあって生きているが、肉に従って生きる義務はない、とパウロは断言する。人間の価値はその魂にある。肉体は牢獄であるという考えがある。それでも使徒信条は「体の復活」を言っており、復活とは単に霊による復活ではなく、体を伴った復活である。だがその際、その体は栄光の体と変容された体である。

@体を主導するのは魂、すなわち霊である。人間の命は霊的基準によって裁かれる。また永遠の命は霊における命である。人間は魂として天から下り、天に帰ってゆく存在だ、という確信は、パウロに限らず、古代の宗教的哲学的考え方に広く存在していた。パウロの貢献は、その帰路である帰天において、復活の主との交わりに対する確信を通して、天の世界を恵み深く豊かな彩にしたことである。そこでは再び魂だけの世界となる。体は地上では不可欠であり不可避であるが、あくまでも器であり、道具である。始まりと終わりは魂、霊、精神、心である。

@今日においてもその確信は有効であり、ますますそれに対する気づきの復興が必要となっている時代にある。でなければ、人間は地上的存在を脱することができない。日の下に新しきものなし、であるから。人間を一新させ、あらたな次元に達するために、キリストとともによみがえるということは、根本的に霊的事柄であり、肉的体にあまりこだわるのは適当ではない。それらはやがて滅び、用が済めば捨て去るべきものでしかない。

◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。

月曜日:≪第一日課≫、火曜日:≪賛美頌≫、水曜日:≪ニケヤ信条解説≫、木曜日:
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