牧師室の二窓 Pastor's note

★小泉潤牧師とのお別れの時★

 「私、小泉潤は・・」と自分の召天の知らせと葬儀への奇想天外な案内状を出し、「小泉潤通夜の祈り・別れの集い」のすべての細かいプロデュースまでして、最後まで宣教魂を傾けて78年8カ月の生涯を駆け抜けた小泉潤牧師の葬儀に、三原から飯島早苗姉、福山から石田喜久子姉、そして両教会を代表して私、それから今回は家内もお世話になった思い出がたくさんあり、参加してきました。それは、それは後々まで語り継がれる小泉劇場のフィナーレでした。私も神戸東時代、関西地区でお世話になりました。先生の原点は、伝道師であった潤先生のお父様が戦争中大阪で空襲のさ中、亡くなられた時の無残な記憶から、平和と人々の一致への熱い思いであったことをあらためて思い起こされ、神が一人ひとりに与えられた掛け替えのない生涯の務めというものを痛感させられました。先生の死顔はがんの末期ということもあり、私の記憶にある先生と同じ人とは思えない姿でしたが、それを通して、イザヤ53章の「見るべき面影はなく」と、皆のために打たれる主の僕を想い起こさせられました。最後までありのままの姿をさらけ出して、「すべては成った」と、宣教者の生涯を終えられました。




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