
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
|
「主の弟子としての人間」
:≪第一日課≫イザヤ50:4-9a(旧1145)*≪今日の聖句≫イザヤ50:5
主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。
・「50:4 ::主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。」イザヤ50章の「僕の歌」は、主の弟子としての人間の高貴な姿を見事に描いている。それは、至高者である神の使いとしての人間の姿である。今から2500年前の人間イザヤの残した言葉である。人間の高貴さを今日の私たちは見失って、奴隷化されているではないか。
・「神の似姿」としての人間は、「神の弟子」「神の僕」としての人間型(モデル)であるが、それは、イエス・キリストという現実存在を通して、初めて人類に示されることとなる。
・その人間型の試金石が問われるのは苦しみに対する対応にある。苦しみが襲ってくる時、その苦しみは、世の罪からやって来る。この世の支配者からやって来る。しかし、そこで「 50:5:: 主なる神はわたしの耳を開かれた。」神が世の罪と神の真実について、弟子の耳を開かれる。その御言葉に対して、「わたしは逆らわず、退かなかった。」「従順」が試される。
・苦難における従順の学びについてのイザヤの言葉。「50:6 ::打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。・・50:7主なる神が助けてくださるから/わたしはそれをあざけりとは思わない。・・50:8わたしの正しさを認める方は近くいます。・・50:9見よ、主なる神が助けてくださる。誰がわたしを罪に定めえよう。」
・その従順を学ばれた方がイエス・キリストである(ヘブライ5:8-9::「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となられました」)。キリストのその姿、十字架に至るまでの従順な僕の姿が神の子としての人間の原型・モデルとなる。 |
|
|
◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。
月曜日:≪第一日課≫、火曜日:≪賛美頌≫、水曜日:≪ニケヤ信条解説≫、木曜日:
≪第二日課≫、金曜日:≪福音書日課≫、
日曜日:≪主日説教≫(三原教会・福山教会ホームページhttp://www.mcat.ne.jp/~
miharach/ & フェイスブック「谷川卓三)でお伝えしています。
★日刊「メールマガジン版」(tanigawaster@gmail.comまでお申込みください)、フェ
イスブック(谷川卓三)、「ホームページ」(「三原教会or福山教会」)/フェイスブッ
ク(谷川卓三)で毎日更新されています。
★印刷版の「郵送サービス」(無料)で受け付けています。宛先をご連絡ください。

|