「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2014年11月28日
「終末の祝宴への備え」

 *≪今日の聖句≫マタイ25:34
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、
天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 」

・天地の主なる神の御心は全ての者が祝福のうちに終わることである。主御自身の創造が終えられた時、「全てが非常に良かった」とあることは、人類の歴史・個々人の生涯においてそのまま当てはまる。「終わりよければ全て良し」。

・紆余曲折・山あり谷ありの末に全てが「良かった」と言えるために、何が探し求められ、発見され、実行されるべきか?それを与えてくださるのが神の知恵である。人間の一生・人類の全歴史が追求すべきものとしての神の知恵とは何か?

・「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」「小さな者達」への配慮・慈しみの業を示す神の知恵を語るこの聖句はディアコニア憲章と呼ばれている。私たち人類が求めるべき目標がここに明確に示されている。

・「あなたがたのために天地創造の時から用意されていた御国を受け継ぎなさい」。
デジャブーというフランス語で既視感と訳されている概念をよく耳にする。私たちが御国を受け継ぐ・御国に入ることは最初から定められていたことではなかったか、との思いも、デジャブーの一種ではなかろうか。「いつか来た道」。それは懐かしい道・愛おしい道・祝福の道である。私たちはそこから出て来て、そこへと今帰って行っている、という安心。それは私たちが神の子であることのしるしである。未完成体の神の子としてこの世に生み出され、この世ではなお途上にありながら、しっかりと終わりを目指して走りゆくことが出来るのは、私たちが自らを神の子として意識するからである。私たちは神の豊かな財産をすべて受け継ぐべき神の子として、最初は子どもとして、やがて自覚的に青年となり、悩み苦しんで汗して働く壮年期を生き、やがて再び子供に帰り、すべてを主に委ねて、祝福された終わりを迎える。全ては恵みであった。終わりよければ全て良し!

◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。

月曜日:≪第一日課≫、火曜日:≪賛美頌≫、水曜日:≪ニケヤ信条解説≫、木曜日:
≪第二日課≫、金曜日:≪福音書日課≫、
日曜日:≪主日説教≫(三原教会・福山教会ホームページhttp://www.mcat.ne.jp/~
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