
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
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「立ち帰れ、立ち帰れ」
*≪今日の聖句≫エゼキエル33:11
「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」
*「立ち帰れ、立ち帰れ」と主は渾身からその愛する民イスラエルに呼びかけられる。彼らが滅びることを決して喜ばれないからである。神はえこひいきなさらない。神の民イスラエルをえこひいきなさらない。公平に世界を裁かれる。罪を犯す者は裁かれなければならない。罪を犯してもいいんだよ、とは言わない。罪は地上に死をもたらす。誰の罪であれ、罪のあるところに死は迫っている。
*ルターの信仰義認の言葉:「大胆に罪を犯せ。だが、大胆に信ぜよ」から罪を犯していいのだという結論を引き出すなら、それは全く愚かなことである。「大胆に信じる」ことがなければならない。罪の義認は安価な恵みであり、高価な、真の恵みである罪人の義認とは全く異なる。罪は誰の罪であろうとも、裁かれなければならない。
*しかし信じる者は裁きの主の正しさを認める。主がそのように裁かれたことがまことに正当であることを。そうして自らが主の前に罪を犯したことを素直に悔い改めることを願う。悔い改める力が自分にあるのではない。しかし悔い改めを願う心は罪人に新たな力を与える。主は罪を告白する者をそのままにはしておかれない。放蕩息子に父のように、父みずから走り寄って抱きしめてくださる。
*今日、私たちは、悔い改めを必要としている。御父を見失った咎の責任を負っているから。私たちは愛する御父のもとに帰らなければならない。私たち自身の罪:この世を構成する一員として、今の代に責任がある。悔い改めよ、立ち返れ、との主のみことばを真剣に聞いて、主よ、私たちは何をしたらよいのでしょうか?と尋ね求めなければならない。 |
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◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。
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