
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
|
「わたしはお前たちの中に霊を吹き込む」
≪第一日課≫エゼキエル37:1-14(旧1357)
≪今日の聖句≫エゼキエル37:5 「これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。」
・「これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる」。「これらの骨」とは、枯れた骨のように朽ち果てたイスラエルの捕囚民のことである。紀元前589年のバビロン捕囚によってイスラエルは一旦滅んだ。エゼキエルが見たのは、そのような捕囚民の生きたまま枯れた骨のようになった姿であった。
・そのイスラエルに対して、主の言葉、「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む」をエゼキエルは聞く。「見よ」。「よく注意して私の業を見ていよ」。何も変わらない目に見える現実の中に、天からの希望を見い出そうとするエゼキエルであった。絶望の最中に見出せる希望は、天からしか来ない。ここには本当の「神頼み」がある。人間の究極的状況である。地上的人間的世界への絶望が、人間に新しい境地を開くのである。
・「わたしはお前たちの中に霊を吹き込む」。エゼキエルの聞いたのは、主の「言葉」であった。骨が生き返る現実を見たのはずっと後からであった。彼はまず約束の言葉を「聞いた」のである。約束、言葉が先である。それがイスラエルと主との関係である。
・「お前たちの中に霊を吹き込む」。人を生かすのは、我らの中の神の霊である。神は我らを生かすために、我らの中に、霊を吹き込まれる。我々は、人間を生かすものは何であるかをよく考えてみなければならない。様々な安全保障であろうか。財産・人間関係・自己能力などなど、皆、この世が与えるものである。しかしそれらはこの世の支配者の支配の下においてという条件がついている。真に我々を自由にし生かすのは、我々の中に天から吹き込まれる生きた霊である。
・「すると、お前たちは生き返る」。「生き返る」。人間は新たに生き直しが出来る。しかもその新たな生は、今まで以上に生き生きとした感謝に満ちた生である。
|
|
|
◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。
月曜日:≪第一日課≫、火曜日:≪賛美頌≫、水曜日:≪ニケヤ信条解説≫、木曜日:
≪第二日課≫、金曜日:≪福音書日課≫、
日曜日:≪主日説教≫(三原教会・福山教会ホームページhttp://www.mcat.ne.jp/~
miharach/ & フェイスブック「谷川卓三)でお伝えしています。
★日刊「メールマガジン版」(tanigawaster@gmail.comまでお申込みください)、フェ
イスブック(谷川卓三)、「ホームページ」(「三原教会or福山教会」)/フェイスブッ
ク(谷川卓三)で毎日更新されています。
★印刷版の「郵送サービス」(無料)で受け付けています。宛先をご連絡ください。

|