「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2014年03月13日
「アダムとキリスト」

ローマ5:12-19(新280)
≪今日の聖句≫ローマ5:15「 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。」

・「恵みの賜物」は「恵み」が、ギリシャ語でカリス、「賜物」がカリスマと言葉が似ているように、両者は密接に関連し、賜物は恵みの結実したもの。恵みは個人的なもののように思われるかもしれないが、そうではない。恵みはキリストからやってくるもので、キリストが全ての人の所にやって来られたのだから、恵みはすべての人に等しく注がれている。それに対して、賜物は、恵みによって各自に各様に与えられる。恵みは一つであるが、賜物は多様である。

・恵みの普遍性についてパウロは死の普遍性との対照で語る。アダムとキリストとの対比で。それぞれ一人の存在が全体を代表している。アダムの罪によって死がすべての人間の定めになったと創世記は語る。その意味で人はみなアダムの子孫である。それとの対照で、イエス・キリストの場合は、アダムとは逆に、キリストの死によって、恵みがすべての人間に注がれることとなった。恵みとはキリスト故の無償の恵み。キリストを賜った神はその他のものをもすべて恵みとしてくださる。それがキリスト教的恵みである。すべてにキリストのしるしが刻印され、恵みとして与えらる。

・アダムの場合、死の文明が人間界に入り込んだように、キリストの場合、すべての人に注がれた恵みによって、人類に新たに、命の文明がやって来た。

◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
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