「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2015年10月12日
「人道と天道」

*≪第一日課≫アモス5:6-7,10-15(旧1434)*≪今日の聖句≫ アモス5:14 

善を求めよ、悪を求めるな/お前たちが生きることができるために。
そうすれば、お前たちが言うように/万軍の神なる主は/お前たちと共にいてくださるだろう。

*神との関係を宗教とすれば、倫理は人との関係であるが、両者はコインの裏表であり不可分である。だが実際の現実では宗教が倫理の常識を否定する場合が問題視されている。イエスは、神を愛することと隣人を愛することが人間の最大の務めと認識され、両者が一つであることを強調された。今日の箇所では、そのことの認識がすでに預言者において神のみこころとして明らかにされている。

*あるツイートで「人道ありて、天道あり」との言葉を見つけました。それに対してわたしはリツイートして、「天道ありて、人道あり、もまた然り」、と反応しました。その時のわたしの気持ちはそのツイッターがとても日本人的に思え、逆の真理もそれ以上に大きいことを認識していただきたかったのです。日本人は人道は理解するが、天道の理解が非常に貧しい:いつも下から上である。上から下への方向性がひじょうに貧しい。両者は緊張関係において成り立つのだが、強調点はむしろ天道のほうになければならない、と思いました。その思いは今でも変わりません。「天にある如く地にも」が祝福の循環だからです。

*しかし今日のアモスの「善を求めよ、悪を求めるな/お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように/万軍の神なる主は/お前たちと共にいてくださるだろう。」を読めば、預言者が人道を如何に重要なこととして捉えているか、人道における善こそが天道を開く力であることを強く訴えていることに気づかされます。人道か天道か、どちらが先か、と問うこと自体がずれた感覚であることを思いました。両者は分けられない。

*田中正造が「正造も谷中に入りたのが大幸福です」と語った手紙の中で、 当時のキリスト教会についても次のように言っている。「今のキリスト信者はたらひに水入れて洗礼するのみ、人はパンのみを以って云々も書物の上で読んだので、実地に行ったものは少ない」と。この世の事柄に正造のように関わった者は少ない。その意味で日本の代表的預言者だとわたしは思う。彼にして言える言葉だ。翻って聖書の預言者アモスの「善を求めよ、悪を求めるな/お前たちが生きることができるために。」も、彼にして言える言葉であったにちがいない。人道と天道を区別するのでなく、両者が一つに合わさった統合の道を進むことこそ主に従う道であると念じる。

◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
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