式文解説 Liturgy expositon

ルーテル教会では礼拝に式文を用い、唱和します。それは伝統に裏付けられた知恵の宝庫です。
しかしその意味が不明では心から唱和和することが出来ません。
そこで、式文に盛られている宝のエッセンスを解説するのがこのコーナーです。
毎週水曜日に連載します。
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2014年05月21日

48:「派遣の部」A: 「ヌンク・ディミティス(今こそ去ります)」@:

「シメオンの賛歌」@

*この典礼歌はルカ福音書2章の「シメオンの賛歌」である。出産後の清めの期間が過ぎて初子の奉献式をするために両親が赤ちゃんイエスを神殿に連れて来た時、信仰篤い長老シメオンがその場に遭遇した。「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。彼は『主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない』とのお告げを聖霊から受けていた。」とルカ2:26にある。メシアの到来を深い信仰から待望していたのである。浮世を超越して遥か彼方を見やっているようで、しかし、いつその時が来ても用意が出来ているような生き方をしていた。「(シメオンが)“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。」信仰の人に聖霊が教える。この両親と赤ちゃんイエスの聖家族の内に神の約束を見た。真理を知らせる聖霊である。神の真理とは神の救いの約束の希望である。赤子のイエスの中に、彼はそれを見た。一人の人の誕生の中に未来に続く大きな神の祝福を見る長老の魂はメシア・イエスにおいて我々の運命が神の祝福を受けていることを感じる。シメオン老は赤ちゃんを抱く許しを両親から受けて、「幼子を腕に抱き、神をたたえて言った」。心から祝福し感謝する祈りが始まる。

*以上の流れから分かるように、この祈りは、終末的眼差しで救いの待望を間近に感ずる魂からの賛歌である。それが礼拝の終わりの派遣の部で歌われることは、みことばと聖餐からこの世への派遣へと移行する際に、この「シメオンの賛歌」がふさわしいと代々のキリスト教会が認めてきたということである。このイエス・キリストに世を救う光を見たからである。




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