
式文解説 Liturgy expositon
ルーテル教会では礼拝に式文を用い、唱和します。それは伝統に裏付けられた知恵の宝庫です。
しかしその意味が不明では心から唱和和することが出来ません。
そこで、式文に盛られている宝のエッセンスを解説するのがこのコーナーです。
毎週水曜日に連載します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
|
44:「聖餐の部」F:聖餐への招きと聖餐(配餐)
「陪餐を巡る諸問題」
・私たちの日本福音ルーテル教会においては聖餐を受ける者は洗礼を受けた者です。
・しかしここで大きな問題が生じます。その洗礼には嬰児や幼児への洗礼も含まれるべきかどうかという点です。これを巡って、宗教改革時代には大きな問題となり、教会が分裂することにまでなりました。これは人類の歴史的過程における人間の魂の意識化の進化に関わっています。その判断は、共同体を中心に考えるか、個人個人の魂の問題を最重要視するかによって変わってきます。ルーテル教会は、それまでのカトリック教会の伝統を踏襲して、小児洗礼を基本としました。そこで、成人になってからの洗礼を主張する人々を再洗礼派として迫害した歴史を持っています。全体か個か、鶏と卵の議論ですが、近代社会は個の確立に向かった社会であることを考えると、小児洗礼を無批判に踏襲するのではなく、その功罪を見極めて、補うべきものは補って、信仰の形の現代化を図りたいものです。その試みとして、信仰における子供から大人への継承の問題、その節目としての堅信式を巡る取組などが実践的課題とされています。
・日本福音ルーテル教会では、ここ30年ほど、小児陪餐制度を導入しています。小児洗礼を受けた者は種々の条件の下に聖餐に与かれるとするものです。それ以前は、堅信式を受けて初陪餐に至っていました。しかし洗礼の重みを重視する議論から、洗礼を受けた者がどうして聖餐に与かれないことがあろうか、ということです。もちろん、小児洗礼は本人の信仰ではなく、共同体全体の信仰の支えにおいて受けたのであり、それを成人洗礼と同日視することはどうかという議論も当然です。いずれにしても、ルーテル教会は小児洗礼を共同体の名において受けて、信仰継承を熱心に行う教会としての自己規定を選択したというべきでしょう。その観点からは、共同体の信仰ということをもっともっと真摯に考えて、その点からの貢献が緊急課題だと思います。
・また、私たちの教会では、洗礼を受けた者への聖餐と共に、未受洗者には祝福を受けるために聖餐者と共に共同体の輪に連なるようにとの招きの言葉が発せられます。祝福はアブラハムの時以来の、神に従う者への約束です。受洗者も未受洗者も区別なく、受けられる普遍的なものです。それは、パウロがローマ書でアブラハムの信仰として伝えているものです。キリスト教の普遍主義の実践的試みとして私たちの教会ではそれを取り入れています。
|
|
|

|