式文解説 Liturgy expositon

ルーテル教会では礼拝に式文を用い、唱和します。それは伝統に裏付けられた知恵の宝庫です。
しかしその意味が不明では心から唱和和することが出来ません。
そこで、式文に盛られている宝のエッセンスを解説するのがこのコーナーです。
毎週水曜日に連載します。
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2014年04月09日

43:「聖餐の部」E:「主の祈り」+「平和の挨拶」+「アグヌス・デイ」

「礼拝の頂点の三角形」

・聖餐設定辞の直ぐ後で「主の祈り」が祈られる訳。「主の祈り」は全ての祈りの中の頂点であり、主ご自身が教えてくださった祈りである。前回、聖餐式はキリスト教礼拝の原点であり、その設定辞はクライマックスであると言った。そのような主の御言が「主の祈り」を一体的に伴うことは当然である。主の祈りの精神の究極的顕れが最後の晩餐のキリストの新しい契約であるのだから。主の祈りは御名の栄光の成就を祈る祈りである。その栄光は今まさに成就しようとしているのであるから。祈りと成就。しかしその成就は始まったばかりである。それは神の将来に向かって祈られるべきものである。

・「平和の挨拶」。「主の平和があなたと共に!」。新しい代においてはこの挨拶が実質となる。シャローム!は主を畏れ敬う霊の人々にとっての公同の挨拶。公同とは「いつでもどこでも誰とでも」である。ここで一言。「主の平和」であって「主の平安」と訳していないことに留意しよう。シャロームは時に応じて「平和」とも「平安」とも訳せるが、一番大事な事は、単なる心の平安ではなく、主との平和を得て、その平和を分かち合う事である。

・「アグヌス・デイ」については式文解説の初めの頃、既に何度も解説しているので、そちらを参照していただきたい。ただ、何故、この場所で再び、それが唱和されるのかである。この場所が、「世の罪を取り除く神の小羊よ、憐れんでください。」今、奉げられようとしている神の小羊としてのキリスト・イエスの「犠牲」によって、「世の罪」の全てが取り除かれたことを覚えるにふさわしい場所だからである。




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