
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
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「絶対的真理」
:≪第一日課≫アモス7:7-15(1438)*≪今日の聖句≫アモス 7:8
主はわたしに言われた。「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「下げ振りです。」主は言われた。「見よ、わたしは/わが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない。
@アモスは自国(北イスラエル)のはなはだしい不正義に直面して、神の幻を見た。その幻は「下げ振り」の幻だった。すべてが相対的にあいまい化され、権力ある者だけが高笑いする世界において、それは絶対な神の義の幻であった。この問題はひじょうに今日的である。
@今日「絶対に正しい神の義」を主張すると、キリスト教内部からも厳しい批判が噴出する。「客観的に正しい倫理」を訴えたヨハネ・パウロ2世が、たとえば彼の堕胎を絶対的に罪だとする主張に対して、多くの人々が反対した。かってフレッチャーという神学者が「状況倫理」を唱えたことをも想起する。しかし教皇は「反対を受けるしるし」として自らの道を動ずることなく進んだ。
@教会は世に対して、この世のものではない基準を立てる。それが教会の物見の塔としての役割である。「この世と妥協してはならない」。そうなれば 教会の存在理由はなくなる。すべてが世界内存在であり、神なき世界であることが真実ならば、教会もその中にしかないとするならば、教会の存在理由はなく、単なる社交集団となってしまう。
@神が存在するかぎり、絶対的真理として神の義が存在する。その真理は、万物を愛し生命体として創造された神の御心に基く義である。私たちは命を生かす絶対的真理を捉え、その基準に従って、この世に対する裁きがなされなければならない。「あなたには何が見えるか」に対して、アモスは「下げ振り」を見たことを告げる。神はそれに対して、「私はイスラエルの真ん中に私の義のサゲフリを下す」と宣言された。私たちはどんな幻を見るのか。神からの幻はこの世を正す。権力の横暴を許さない根拠がここにある。
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主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。
月曜日:≪第一日課≫、火曜日:≪賛美頌≫、水曜日:≪ニケヤ信条解説≫、木曜日:
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