
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
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「栄光の十字架」
:≪福音書日課≫ヨハネ12:20-33(新192)*≪今日の聖句≫ヨハネ12:31
今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
・神は人間を決して裁かれない。人間を救うために御子を与えられたのだから。個々の人間は裁かない神であるが、しかし、この世の君は裁く。世界をこの世の君の支配から解放するためにこの世の支配者を「追放する」。その厳しさにこそ神の力が現される。そうして、この世の君に抑圧されていた神の民は解放される。
・この世の支配者を追放するためにイエス・キリストは「地上から上げられる」。地を超えて天の栄光へと昇りゆく。そこは世の支配者が決して来ることの出来ない神の栄光の交わりの場である。その事実にこそ、この世の裁き、この世の君の裁きがすでにある。
・「地上から上げられる」栄光は、民をご自身と共に天の交わりへと引き寄せるためである。十字架が既に主にとって栄光の時であった。この世の究極の刑罰である十字架が、神にとって、この世の君が決して近づくことの出来ない交わりの栄光であり、そこに神の知恵があった。
・この世の君は高笑いし、抑圧された神の民は不安と怖れに圧倒されて、十字架を眺めていた。主ご自身も、 「12:27 ::今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。」と心情を暴露されている。だが、やがて、「12:28 ::父よ、御名の栄光を現してください」と願う。十字架が栄光となったクリティカルポイントである。この世の分離の逡巡は過ぎ越され、十字架の交わりが現実となった。
・それに答えて、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう」と。 そばにいた群衆には恐怖の閃光雷鳴のように思われたが、それを、「天使の話しかけ」と受け取った者もいた。その雷は神の栄光の十字架の啓示であった。 |
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