
使徒信条解説
18:我はそのひとり子、我らの主イエス・キリストを信ずK |
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「陰府にくだり」
・メシアは死んで葬られてからも、罪人たちの連れて行かれる陰府にご自身も共
に行かれる。その罪人のことを1ペトロ3:19は、象徴的・暗示的 に、「ノアの
時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者
たち」と言う。神の忍耐と、その慈悲さえも無視して過ぎ こす人間の傲岸。全
き罪人たる人間を、キリストは陰府下降して救ってくださる。罪の力と恵みの力
は拮抗した力ではなく、キリストの十字架の故に神 の圧倒的勝利に終わる。闇
は光に勝つことは出来ない。陰府は光に照らされる。そうして、墓の闇の中から
光が射し出る。十字架は復活に呑み込まれ る。十字架と復活は同じ地平・土俵
の上のものではない。十字架はこの世の出来事に属するが、復活は神の終末論的
恵みの世界に属する。悪の力は赦し の約束には勝てない。その力によって敵を
赦すことが神の愛の勝利となる。
・キリストは死んで葬られたのち、陰府に下り、「霊において、捕らわれていた
霊たちのところへ行って宣教された」。罪の最終的解決のために。罪の 無残な
現実は死後まで続く。失敗や裏切りや無慈悲な行為によって神を見ることのな
かった人々の魂がどうなるのか?それに対する安心・解決をしなけ れば、救い
は最終的に完結しない。キリストの慈愛は、死後も苦しむ罪人・悪人・裏切り者
をも憐れむ限りない愛である。陰府にくだる主イエス・キリ ストの故に私たち
は最終的安心を与えられている。 |
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