
使徒信条解説
15:我はそのひとり子、我らの主イエス・キリストを信ずH |
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「十字架につけられ」A
・「人間学的に見れば、十字架は、多くの模倣的闘争、危機に際してお互いに激
しくぶつかりあう多くのつまずきが、一致してイエスただ一人に向かう 瞬間と
言うことが出来る。共同体を分断し、断片化し、解体する模倣に代えて、普遍的
つまずきの役割を押し付けられたただ一人の犠牲者に対してつま ずいた人々全
体を結集する模倣がここにある」(ルネ・ジラール『サタンが稲妻のように落ち
るのが見える』)
・共同体全体が一人の人を排除するのは、この世が煮詰まった時である。その時
にもこの世は自らの悪を認めることができないので、犠牲者を造り出 し、彼を
神を冒とくする者として裁くか、見捨てるかする。だがやがてその犠牲者を神に
してまつる。靖国にも見られる共同体の回復の構造である。
・イエス・キリストの十字架の場合はしかし、その犠牲者が唯一の犠牲者とし
て、世全体が彼に対立する。しかしそれは、世全体が罪を懺悔し、悔い改 め、
救われるためである。イエスのほうが正しいことが徐々にますます信頼すべきも
のとわかるようになるにつれて、真の正しさ、すなわち神の義への 回帰が起こ
る時、救いが起こる。 |
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