使徒信条解説


12:我はそのひとり子、我らの主イエス・キリストを信ずE


 「降下と高挙」

*初代教会の「キリスト賛歌」フィリピ2章6節以下に次のようにある。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。』」。救い主はこの世の救いのためにこの世に降下し、この世を神の国へと救い上げるために高挙されたとの確固たる信念を持っていた。同一の信念が「使徒信条」の構図にも表されている。

*「乙女マリアより生まれ」→「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」→「十字架に付けられ」→「死んで葬られ」→「陰府に下り」と、下降線を下り、そこから反転して、「三日目に死人のうちから復活し」→「天に上り」→「全能の父なる神の右に座し」→「そこから来て、生きている人と死んだ人とを裁かれる」と、上昇線が描かれている。「使徒信条」は救い主イエス・キリストの下降上昇の両線によって人類の救いの成就を告げている。

*救いのための下降と上昇は救い主の行動のマクロ的な俯瞰図である。それは同時に、私たちの行動類型ともなる。私たちがキリストに従って世の救いを求め、神の国とその義の成就を求める時に為すべき道のりである。




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