「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2014年11月07日
「幸いなるかな」

 *≪今日の聖句≫マタイ5:3
「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」

・「幸いである」の説教は、イエス・キリストの福音の象徴であろう。とりわけ最初の「幸い」はその頂点に位置する。「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」。「天の国」あるいは「神の国」はイエスの福音の大文字のテーマとして、イエスの福音宣教のどこを切ってもそれがテーマとなっている。だれが天国に入ることができるか、は人間の最大の関心事である。幸いなる人生とは何か?である。

・その答えをイエスは端的に、「心の貧しい者」と答えられている。「心の貧しい者」とは、「自分を心底から貧しいと思っている者」ということである。人間本質としての貧しさを知っている者のことである。人間は自分では何一つ全うできない存在である。生まれる時から死ぬ時まで、自分からそれを為すことは出来ない。イエスの言葉によれば、髪の毛を黒くも白くも出来ない。根本的に他に依存している存在である。その他者のうち最大の他者は神ご自身である。私たちは全てを神に負っている。生きるも死ぬるも。

・そのことを心底から分かっている者は、謙虚な者となる。その者は、天を畏れ敬う心を持つ。おのが上に天を戴く者である。その者に神は、恵みを押しこむように豊かに与えてくださる。その逆に、「富んでいる者は災いだ。あなたはもう慰めを受けている」。これが神の国の法則である。神における関係性の法則である。

・その「心の貧しい者」の姿をイエス・キリストの上に見て、それに倣う者となる時、幸いなる人生が始まる。イエスは何も持たず、御父なる神を仰ぎ、身を委ねて、全てを喜びのうちに受けておられる。

・貧しいがゆえに、神より与えられる。それは陰圧の原理のようである。それが人間本来の貧しさの現実に叶っているから、その人生には矛盾がない。矛盾のない人生はストレスの少ない人生である。要するに、幸いなる人生とはストレスが少ない人生である。

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