「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2014年10月23日
「終末の希望」

≪今日の聖句≫1テサロニケ1:10
「どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったか。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」

*「テサロニケの信徒への手紙1」は現存するパウロの文書として最古のものである。それはすなわち、パウロの最晩年の「ローマの信徒への手紙」にまで至るの一連の手紙の最初のものととして、現存の手紙から見て取れる彼の思想の十数年に亘る変遷の最初を画する貴重な資料ということである。

*その最初から、キリストの再臨待望が顕著であることが大きな特徴として見て取れる。「主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐している」。この希望は10節の「更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったか。」と合わせ読むと、キリストの再臨の時への希望であることが理解できる。このキリストは、「この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです」。ここから読み取れることは、初代教会の信仰は、単に、十字架に付けられた方としてではなく、やがて来るべき栄光の主、世界の審判主への信仰であったことが特徴的であるということである。その希望なしには、十字架は単に地方的歴史の出来事でしかなくなり、世界審判者の贖いとしての意味がなくなってしまう。十字架は神による復活(キリストの引き上げ)をとおして、神の怒りを免れしめる新しい出エジプトである。

*キリスト教的希望は、新しい世への希望である。それによって、死から命、闇から光への転換への確信が与えられる。希望の最終的形態が終末の時のキリスト再臨である。その時、古い世は終わり、新しい世が始まる。そこに向かって古い世は走る。そのために、今の時をキリスト者にふさわしい形で迫害をも忍耐することができるのである。

◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
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