
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
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「自由への招きを断るな」
*≪今日の聖句≫マタイ22:14
「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
*創造主の御心は被造物を全て愛し抱擁し、永遠の命に招くことにある。それは婚礼の喜びへの招待のようなものである。全ての者が、お金のない者もただで、自由へと招かれている。
*だがそれにもかかわらず、地の上では救いに入るために選ばれる者が少ない。イエスはこの現実を経験において知った。洗礼者ヨハネとご自身の宣教を妨げる勢力を前にして、イエスは「笛吹けど踊らず」と慨嘆し、「今の時代」に絶望的された。イエスはこのことを必ずや繰り返し御父にお尋ねになったに違いない。何故ですか?。
*その答えとして御父から示された結論が、今日の譬えに反映されている。通りに出て手当たり次第集めて来いとの御父の強い命令である。イエスはそれをそのまま実行された。十字架の道とは全ての者のための祝宴の用意として捧げられた小羊としての神のほふりである。
*「麦と毒麦」が終末の時に選り分けられる。その時、栄光の人の子による最後の審判が行われる。裁きはその栄光の主に委ね、今は、老若男女・貧者富者・ギリシャ人と異邦人、誰彼区別なく、広く、心を込めて招く。それが婚宴への招待である。
*キリスト教の歴史はその神の招きの延長線上にある。パウロの異邦人への道、ヨーロッパへの初めての伝道。それらはみな、招かれた者が断ったことによって開かれた新たな道であった。そのような摂理的出来事から顧みて、それはこの世に対する神の御心そのものであることに気づく。連綿と続く人類史のどの時代にも招かれた者はたえず、今一度、その神の招待の価値を考えて、それを受けるように強く要請されている。
*祝宴への参加の希望をもって、その備えとして、名誉・真実・純粋なことを全て求め、それを共有しようと尽力することが全ての人々に求めらている。「共通社会資本」を豊かにして、人間として人間らしい生活をせよ、と宇沢弘文(『経済に人間らしさを:社会的共通資本と協同セクター』参照)は言う。名誉・真実・純粋を追求する人間らしい生き方を求めるリベラルな生き方は、自由という神の婚宴への招きに答える人間の道である。 |
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◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。
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