
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
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「生ける石垣」
*≪今日の聖句≫マタイ21:42
「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。
これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』」
*イエス、十字架の定めとその意義を語る。「だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」預言者の運命を行くイエスは人々の前にあれかこれかの道を差し出す。ローマ9:30以下によれば、それは、自分の業による自己義認か信仰義認か?の「あれかこれか」である。この分かれ道は民族を越え、新たな真の一体性をつくる。そのために石が据えられた。 「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。これを信じる者は、失望することがない」。
*隅の親石とは土台石のことである。「岩(石)」とは誰か?まず最初に主こそ堅き岩。そこから主を信じる一人ひとりの人が堅固な城壁を作る石組の一つ一つとなる。主を愛することこそ堅き石垣である。主と主を愛する者の関係において、すべての良き物が主から来る。それによって石垣はますます強固にされる。良き物、それは「聖霊」である。ルカ11:13「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」全ての良き物がそこから来る聖霊は「日毎の糧」であるが、それは神とのベラハーの交わりであり霊的呼吸である。
*1ペトロ2章にあるように「尊い生きた石」か、それとも「つまづきの石」か? 確かな約束としての石か、つまづきの石か? 人生の分かれ道である。前の道を通る者は少なく、後の道を行く者は多い。尊い生きた石を見出し、それを生きようとする者を見出したら、心から連帯の挨拶をかけよう。兄弟姉妹の清い接吻をもって。 |
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主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。
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