「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2014年09月23日
「主の訓練」

*≪今日の聖句≫ヨナ4:10-11
「 すると、主はこう言われた。『お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから』 」

*主は主の民を訓練なさり、ご自身に叶う者へと変えられる。その例証者として宣教者ヨナが用いられる。彼は主が預言者として召してくださるほどの知恵者であったが、その知恵をもって先を見越して、ニネベの宣教の無駄を悟ったつもりだった。ニネベは一旦滅びなければしかたがないと思った。

*しかし主の思いは違っていた。主はニネベの人々の滅びを喜ばれない。人の思いと天の思いの違い、主の御心を如何にして知るべきか?

*今回、田中正造の学びをディアコニア・セミナーで行った。正造も知恵ある人で、国会議員としてその雄弁は世にとどろいていた。しかしその正造も、政府の方針に逆らい孤立化する谷中村に入って現地の農民の知恵に学ぶようになるまでは、彼らを上から教えてやろうとの啓蒙精神が勝って、谷中の人々と一つになることはできなかった。彼は谷中での十年間農民と共同生活を送り、その体験を谷中学と呼んでいる。こうして彼は谷中の中にキリストがおられることを知るようになる。

*正造は日記にイエス・キリストの十字架上の言葉「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか?」を取り上げて、それはイエスが実践のお方だからこそ言えた言葉であると言う。絶望の中にも希望を持って救民のために尽くす経験を有する者の言葉だ、と。そのようなキリストだからこそ、神の御心があくまでも民の救いにあることを悟ってゆくのである。世を救おうとする心は最初から備わっているものではない。むしろ、絶望の積み重ねを経て、それでもなお捨てきれない救民の思いに、神の御心を、その神の苦しみと熱情を悟るのである。そのようにして主は宣教者を御心と一つになるべく訓練される。

*「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる」(口語訳ヘブル12:11 )。訓練とは、主が授けてくださる苦難である。人はそれに従順に従うか否かが問われている。

◇「みことばの宅配便」は、御国への巡礼を共に歩む神の民に
主日聖句から日ごとの糧を分かつ祭司の務めとして発行されています。

月曜日:≪第一日課≫、火曜日:≪賛美頌≫、水曜日:≪ニケヤ信条解説≫、木曜日:
≪第二日課≫、金曜日:≪福音書日課≫、
日曜日:≪主日説教≫(三原教会・福山教会ホームページhttp://www.mcat.ne.jp/~
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