
「みことばの宅配便」 Daily Manna
あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105
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「赦しの福音」
*≪今日の聖句≫マタイ18:35
「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
*「悔い改め」も「赦し」も人間にとって非常に困難なこと、限りなく不可能事に近い。結局、人間には出来ないと諦めて、この世の快楽に心を向ける以外に、この世に生きる甲斐がないと人は結論を下すのであろうか。
*だが再生の命に生きるためには、悔い改めと赦しが不可欠である。では、そのための論理をどう導き出したらいいのだろうか。その論理は地上のものからはもたらされない。天の憐れみ深い神を信じるところからしかやって来ない。感謝すべきかな。神はその福音をイエス・キリストによってもたらされた。
*イエス・キリストの福音は、一言で言えば、赦しの福音である。赦しを通して開け行く命の世界の福音である。「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。赦しは、水平的に、この世の次元で、人間の評価、甲乙をつけて裁きあう次元からは出て来ない。神の国の切迫を感じる者、そこで神の憐れみの赦しを感じる者のみが地上の争いに終止符を打つことができる。常に天を見上げ、私たちの赦しの主、憐れみ深い主を賛美する信仰において、地上における赦しの世界は出現する。
*「私たちに罪を犯した者を私たちが赦すごとく、私たちの罪をも赦してください。」この祈りを祈る私たちは、赦しと和解による平和の世界を待ち望みながら、兄弟を赦すことへと強く促される。
*先週のみことばは「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」であったが、赦しは天との関係における感謝である。「赦し」は条件付きの赦しではない。相手からの悔い改めのサインがあるなしにかかわらず私たちが主の前に持つべき根本態度である。「赦し」は天の父の憐れみ深い赦しに対する応答である。キリスト者においては、人間に対する前に、神の前での根本態度として、兄弟に対する赦しがあらかじめ用意されていなければならない。それ故、キリスト者の赦しは決然たるものであれ。武士に二言はないように、キリスト者の赦しも、相手の言い訳うんぬん以前に、罪の大小、情状酌量の加減の問題ではなく、神の前に既に決められた事である。 |
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