「みことばの宅配便」 Daily Manna

あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。詩篇119:105

2014年06月26日
「もはや罪に留まらない」

:≪今日の聖句≫ローマ 6:9 「死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。 」

*パウロはどうして、もはやキリストは死ぬことはないことを強調したのだろう。繰り返し死ぬような経験、罪の縄目を経験したパウロであった。シジフォスの岩のように、復活の恵みに与かっていると思った次の瞬間に死の現実に逆戻りする経験をパウロもルターも、我々全てが経験し、苦悩してきた。「もはや罪の留まらない」ことは如何にして可能か?

*しかしある時から、パウロはもはや逆戻りはない事に気づかされる。それが、キリストが復活され、二度と死ぬことはないという事の強調に表出されている。キリストが私の中で今生きておられ、そのキリストが私を導いておられる。それは、復活体験であり、同時に、聖霊体験である。今私の内にキリストが霊としていつも導いてくださっている。復活体験は聖霊体験なしにはあり得ない。今私の中で主として導かれる方に従う限り、私のエゴによって逆戻りすることはない。私は私であって私の内におられる主ご自身であることに気付いたときパウロはもはや後戻りしなくなった。自分で考えるのでなく、主が導いてくださる確かさの故に。その霊の臨在の根拠は復活の主がもはや死なない事実から来る。

*しかし、キリストと聖霊と私が一体であるいう神学テーマは決して簡単ではない。その証拠に、ルターの時代には、ルター自身、聖霊派を熱狂主義としてひどく退けた。だが、500年後、LWFは彼らの一員であるメノナイトに謝罪し和解協議を続けている。霊に対する認識の変化、転換が起こっている。神の摂理である。最初の時には、聖霊とキリストの一体性の多様性を理解する恵みをいただくことが出来なく、力で秩序を保つ解決になった。しかし500年の歳月の間の霊的経験は、聖霊に従う道が生けるキリストに従うことであることを受け止めることができるようになっている。パウロはもはや逆戻りのない主の栄光の道を辿っている確信をもって霊なる主に従った。今日のメノナイトの人々の霊的力強さには圧倒される。それは聖書の世界の再現のようにさえ思える。ルターが切り開いた道を通って多くの人々が行った。我々は今、神の摂理の豊かさとして霊の多様性が、復活のキリストの導きとして、後戻りなく前進していることに確信を抱いてしかるべきである。

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